「シブノツナイ竪穴住居跡群」
カムイラビットはオホーツク管内の湧別町信部内(しぶない)に小学校高学年から中学2年までの3年間住んでいました。親の仕事の関係での事でした。
学校から3キロほど近くに湖があり、その名は「シブノツナイ湖」と言います。
信部内の地名とシブノツナイ湖の名は似ていますが、地名の起源はまったく違います。
シブノツナイ湖の名はアイヌ語地名で、シュプン・オッ・ナイで、ウグイの・いる・川から付けられたものです。
入り込む川にもシブノツナイ川があり、その中流に「志文」という地名もあります。
私は、よくシブノツナイ湖に一人で潮干狩りに出掛けました。途中に野焼きの墓地がありそれにも負けず湖に行きました。当時は「しょんぺん貝」と言っていましたが、「オオノガイ」がいくらでも掘り起こして採取出来、なじみ深い湖です。さほど大きな湖ではありませんが、地域の人たちに馴染まれていました。
私は子供の時に親から矢じりをもらったことがあり、次第にむかしの人たちの生活に関心が深まりました。
この湖の南西部に「川西」という地名があり、いつ聞くとはなしに矢じりや土器片が落ちていると聞いたのか、これもひとりで自転車で何度か
行きました。
そのあたりは開発がされていて畑になっていました。
波打った畑、住居跡がへこんだ状態で畑になっています。まだ作物が植えられていなかったのが幸いし、畑の中から、矢じりや土器片がいくらでも拾えたのです。
研究者ぶって報告書作りのでしたものです。誰も調べの手助けも無いので学校の職員室にあったその種の資料を借りてきてまとめました。
私が信部内を去って、住居跡群のあるのは川西と頭に残っていたのですが、その後跡の指定があり、その名も「シブノツナイ竪穴住居跡遺跡」として指定されました。
私のいた当時に畑地に開墾されてしまったところもありますが、まだまだその竪穴群が開発されず、また研究されずに残っています。
私が拾いあさったあの大層な遺品から見ると、手つかずの文化財として貴重なものが多く残っていることは間違いないのです。
北海道新聞の令和3年4月7日の朝刊に竪穴住居群の小型無人機による写真が載せられていましたが、はるか向こうにシブノツナイ湖の姿が見られます。
白い部分が竪穴群の場所です。常呂遺跡の調査の様にこれからの研究に期待します。
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