むかし、カムイラビットの務めていた道東の高校の行事黒板に「あごわかれ」の言葉が書かれていました。当時は不思議な言葉とは思って居ませんでしたが、この「あごわかれ」の意味を、的確に説明出来る人は今道産子でも少ないのではないかと思われます。
むかし、ニシンが取れていた最盛期の時はニシン漁場(番屋)は大賑わいでした。東北地方から出稼ぎに来る「やんしゅう」が多くいました。「網元」に雇われる人たちは「網子」といいました。
「あごわかれ」を漢字に当てはめると「網子別れ」と書き、ニシン漁期が終わって網子たちは里に帰って行きます。この時、網元は「来年もまた是非もどって働いてくれよ」と盛大にお酒をふるまいお別れ会を開くのでした。この時、開かれるお別れ会が「あごわかれ」といいました。この言葉が全道に広まり、北海道方言となったのでした。。
しかし、今この言葉を「知っていますか」と聞いて見ると、多くの人が知らないようなのです。「あごわかれ」の言葉はもう死語になったのか、または、どこかで今でも使われている方言なのか、分からなくなりました。
むかし、ニシンが取れていた最盛期の時はニシン漁場(番屋)は大賑わいでした。東北地方から出稼ぎに来る「やんしゅう」が多くいました。「網元」に雇われる人たちは「網子」といいました。
「あごわかれ」を漢字に当てはめると「網子別れ」と書き、ニシン漁期が終わって網子たちは里に帰って行きます。この時、網元は「来年もまた是非もどって働いてくれよ」と盛大にお酒をふるまいお別れ会を開くのでした。この時、開かれるお別れ会が「あごわかれ」といいました。この言葉が全道に広まり、北海道方言となったのでした。。
しかし、今この言葉を「知っていますか」と聞いて見ると、多くの人が知らないようなのです。「あごわかれ」の言葉はもう死語になったのか、または、どこかで今でも使われている方言なのか、分からなくなりました。
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