神田日勝記念展のポスター
十勝と日高の境の峠は「日勝峠」と言います。
何か因縁があるのでしょうか、鹿追(しかおい)の画家で「神田日勝」という方がおられました。名が「日勝」で峠の名と同じです。十勝にちなんだ名でした。
カムイラビットがまだ若い時、帯広にて道展だったか、全道展だったか絵の移動展がありました。絵が好きでしたので池田(町)から早速見に行きました。
展示品の中に気を引く絵が2枚並んで展示されており、特に裸電球の下にうずくまる人物像に興味を持ちました。どれぐらい見ていたでしょうか、隣に座っていた男の人が「これは私の絵です」と言います。作者さんがそこにいるとは思ってもいず、それは奇遇というものでした。何を会話したか思い出せませんが、裸電球の下の自画像とバックの新聞紙の細かな描写に感心するばかりでした。
ところが、私が感心をして見ていたこの絵はその後有名となり、神田日勝の代表作の一つとなりました。カムイラピットは自負しているのは、自分が素晴らしいと思った作品が目利きの人にも認められているということでした。
神田日勝氏にこの時お会いして次の年に風邪をこじらせて彼は亡くなりました。
当時私は色紙に植物絵を描いていましたが、勤め先の高校に美術の講師として来られていた米山将司さんが、神田日勝に傾倒しており、伝記や系譜をまとめられていました。今では貴重な資料として伝えられている事でしょう。今でも米山さん・神田日勝さんが心に残っております。
今年、神田日勝記念館で回顧展が開かれると云う事で、私の回顧とともにご紹介しました。
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