雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

美しさ見せます クリンソウ 「えりも」はクリンソウの宝庫

2014-06-09 10:57:25 | 山野草

感動の出来事 「えりもはクリンソウの宝庫」

クリンソウのすきっと立った姿、花の色は鮮やかでそれは綺麗です。沢歩きをしていると、偶然に何10本かのクリンソウに出会う事がありますが、大群落に出合う事はないことです。

数年前から津別町(オホーツク管内)のクリンソウ群落はグラビアなどに紹介され、多くの人に知られるようになりました。3週間前だかのフジフォートギャラリーで北海道の風景写真家の個展で津別町のクリンソウの写真を取り上げておりました。

  

クリンソウの群生地は津別の他にある分けがないと思っていたカムイラビットですが、今回、堀田清襟裳岬写真撮影ツアーに御一緒させて頂いて、えりもの渡辺さんの案内を受けクリンソウ群落地に案内頂き、その群落の素晴らしさに驚き(感動し)ました。今回の最大の収穫でした。

「半信半疑でクリンソウがある程度咲いているところがある」と思っていたのは大間違いで、群生地に近づくと路脇にも咲いていて、歓声をあげながら現地に着いて見ると「ワアー」と絶句するほどのクリンソウの群落の素晴らしさです。

この素晴らしさを必ず見たいという人も出ますが、6月8日(日)が満開でしたので、あと一週間もすると写真ほどの美しさは無くなるとお聞きしました。最高の日に案内戴き、心に残る撮影旅行となりました。何枚カメラのシャッターを切ったことやら・・・・。

その群生の様子を写真にて紹介しますが、実際は写真に見るより広い範囲にクリンソウが咲き競っていたのです。見事なまでの「クリンソウの群落」です。年によっては咲く場所が動くらしく、自然の動きがあるとの事でした。

まずは、写真にてご覧下さい。すごい数のサクラソウでしょう。

帰って写真見をみながら、こう撮れば良かったかな、こう場所を選んだほうが良かったかな、写真に切り取る時の工夫はこうすべきだったかななどと復習している自分があるのです。

※7日8日と襟裳岬に写真撮影旅行に行っていましたので、2日間ブログを休見ました。えりもは寒かったとみえて、エゾエンゴサク・マイズルソウなどが今盛りと咲いており、他の花も一斉に咲き始めておりました。

   


えりも と 襟裳の違い

2014-06-06 22:13:19 | 地名

えりも町と襟裳岬

えりも岬は「襟裳岬」と書きます。また、えりも町は「えりも町」と書きます。

「襟裳岬」の名は多くの人に知られているので、地名も全国区で、多くの人に知られています。それならば、「えりも町」の名も「襟裳町」とした方が良かったのではなどと思う人が居ますが、いろいろ議論のすえに今の「えりも町」となったと思われます。

それもそのはずで、「襟裳岬」の字は誰もが読めるのですが、書いて見て下さいといわれたら、10人中さて何人が書けるでしょうか。町名を「えりも町」としたのはそのようなところにあったのであろうと思うのです。また、平仮名書きの地名は道内に他に見られないというてらいを狙って、平仮名書きの珍しい地名と多くの人に周知出来ると考えた事も起因していると思われるのです。

「えりも(えりも町)」はもともと「エンルム」というアイヌ語地名でした。アイヌ語地名研究で知られる山田秀三は、「えりも町は元来は襟裳岬の名で、町名は幌泉(ポロエンルム 大きい・岬 あるいは ポンエンルム 小さい・岬の訛りと言われる)」と述べています。

「えりも町」と改名する前までは「幌泉町」という町名でしたから、上記説明にて分かるのですが、この説明文にはおかしな所があって「幌泉」をアイヌ語で示すと「幌」は(ポロ=大きい)て゜、「泉」は(メム=泉池、またわワッカ)でなければならぬのですが、幌泉をポロエンルム として書いていては説明にならなくなります。

「襟裳岬」の歌に、森進一と島倉千代子のふたつがあり、多くの人に歌われているのは、森進一の歌ですが、「幌泉町」の名から「えりも町」の名に町名をかえるきっかけとなったのは島倉千代子の歌であったと言います。町名改定という大きな節目に島倉千代子さんがえりも町に貢献した大きさを知るのです。

※ 明日「襟裳岬」の写真撮影に入ります。どんな花と出会えるか、どの様に咲き誇って迎えてくれるか楽しみです。今回で6回目の襟裳岬行きです。


可愛くて! 可愛くて!! 雛の鳴き声が生甲斐に

2014-06-04 10:35:19 | 

雛の鳴き声 我が家に活力を与える

か弱く鳴いていた軒下の雛(シジュウガラ)が、数日で元気な子供らしい鳴き声に変わりました。雛は数日で急に大きくなるのでしょう。

我が家の軒下に巣作ったシジュウカラの子供たちは、日に日に成長してきています。親も庭の木に頻繁に姿を見せるようになりました。私が見ていても親は飛び去る事はなくなり、臆せず巣に入って行くようになりました。頻繁に雛に餌(虫)を運んでいます。おかげでいつも虫が付く木も助かっています。

親は、カムイラビットに挨拶しているつもりなのでしょうか、姿を見せながらよく鳴いてくれます。「ジュチク、ジュチク・・ジュチク」などと(どの様な鳴き声だったかは忘れてしまいますが)よく鳴きます。それも口には虫をくわえているのに、どこから鳴き声を出すのでしょう、姿を見る時はいつも虫をくわえています。鳴いても口から虫を落とさないのが不思議です。とにかくよく鳴いてくれます。

軒下を通っても雛は用心する事なく、「餌を頂戴、餌を頂戴!」と叫んでいます。家の周りに野の小鳥が生活する、自然と共存するなんて、カムイラビット夫婦の生活にも弾みがつきます。

もう2年も前の事ですが、家庭菜園口の草わらに雲雀が巣を作り卵を生みました。道路脇の草わらでしたが、皆で楽しみに見守っていたのですが、ある日突然雛はいなくなり、2度と雲雀はやって来ませんでした。近くを通る散歩中の犬か、猫にでもやられたのであろうと皆で結論つけしました。

そして、この話は4年も前の話になるでしょうか、道路をはさんで裏の家の庭にカモの巣が見つかり、ヒナもかえったというので見に行ったのですが、数日たってカモのヒナはカラスにすべてやられたとか、悲しいニュースになってしまっていました。住宅の周りに巣を作る鳥が居ますが、家の周りは危険が一杯で雛を無事成長するまでにはなっていないのです。

次の話は、シジュウカラを育てようとした人の話ですが、庭に置いた陶器の花瓶に入り込み雛がかえったのですが、野良猫に気づかれて、陶器の瓶は倒され、可愛く育ってきていた雛を根こそぎ食べてられてしまいました。カンカンに怒ったラビ妻の友達の御主人は保険所に「野良猫退治はどうなっているのだ」と談判に行ったという話を聞きました。よほど頭にきたのでしょう。

ここのお宅では、雛の成長はかけがえのない喜びの中での事故で、保健所に掛けあう程の力を起させたものと思われるのです。

ここでお話ししたいのは、札幌の住宅の周りの自然は野の小鳥たちには危険が渦巻いているという事の話しです。

その点、カムイラビットの家の小鳥の巣は十分守られているというわけで、シジュウガラにも十分喜んで貰えているはずなのです。

※ 今日(6月4日)から札幌では「ヨサコイソーラン」が始まりました。今日も暑い日となりましたので、踊り手たちも大変なことです。ヨサコイソーランには時間を見付けて是非見に行きましょう。

※ 東苗穂町の自宅で、始めて(4日)のカッコウの鳴き声を聞きました。郭公が住宅街近くまで移動して来たのでしょう。


郭公の運動会

2014-06-02 19:36:21 | 

郭公の運動会

郭公の鳴き声を聞くのは今日で今年2度目です。別荘(?)近くの林(防風林あたり)から郭公の鳴き声が連呼するように聞こえてきます。日時は5月51日(土)の夕方でした。この日は何匹もの郭公が「カッコウ、カッコウ」「カッカッ・カッコウ」と盛んに鳴いていました。カッコウの声がこだまするかの様な錯覚さえ受けます。この日は急に気温が上がりましたので郭公も活動的になったのです。自宅の近くでは住宅街となったせいか、まだ初鳴きを聞いていませんので、郊外にある別荘地とでは林が多いだけ違うのです。

今日は近くの小学校の運動会の日でしたが、どうしたというのでしょうか、郭公も運動会の日とでも思ったのでしょうか、競って飛び回っています。まったく運動会さながら、まねてる様に上空を行ったり来たりしているのです。郭公は結構飛ぶのが早いものですね。向こうに飛んで行ったと思ったら、勢いよく戻ってきては別な方向へと飛んでも行きます。じつに競走しているかの様子です。

実態を明かしますと、追っかけているのはオスがメスを奪い合っているというのが本当の姿なのですが、見事なまでの飛行の姿です。活発な行動の中で、驚いた事に、我が別荘近くの電柱にもやってきて「カッカ、カカカ」と特別な音を立てます。この機会を逃したら写真を撮ることは出来ないであろうと、カメラを急いでソオッと車に取りに行くと、知らぬ間に郭公は飛び去ってしまっていました。待ってくれるはずもありません。素早い鳥の撮影には根気とテクニックが必要なのです。

別荘の周りは視野の広い空間のあるところで、鳥が何も障害物のない空を自由に飛んでいます。郭公の飛行もそうですが、オオジシギも別荘の上空をジェツト機さながらのような様子で、急な滑降と特異な音を立てて飛び回る様は自然満杯の驚くの姿です。オオジシギの飛ぶ姿は毎日のように繰り広げられています。

カムイラビットの高校時代網走南が丘の生物部に入っていましたが、その年の研究主題に「網走管内の郭公の飛来経路について」というような題であったでしょうか、先輩達が郭公の研究に取り組んでいた事が思い出されます。郭公は思い出のある鳥なのです。