想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

人間の心って不思議だな!

2011年04月24日 | インポート

 震災元年 平成23年3月11日をまた、団塊元年の節目の年と呼ぶことにしたいと思います。
 そこで、不思議に思ったことに、余りにも大きなスケールの自然災害に対して人は圧倒されて言葉もでないくらいですが、また、その後、しばらくしてクレーン車が登校児童の列につっこみ7,8人が犠牲になった事故がありました。そのとき、感じたことに人の心は何万人も犠牲のでた地震よりもあのクレーン車の交通事故の方が悲惨に感じられてしまうと言うことです。
 どうして、このようなことがおこるのでしょう。人間の心って実に不思議だなと思います。天災で不幸にしてなくなってしまった人たちのことを思うといたたまれない気になるわけですが、まあ、仕方がないと思ってしまうこともあるわけです。
 しかし、ひとたび人災被害の原発事故や交通事故は許せない気にもなるわけです。そういうことを考えると、まだ、人間にには自然への畏敬の念がどこかに残っているのかなと安心もします。
 これを機に日本もドイツと同じように脱原発の動きに大きく舵を切って欲しいと思います。
 東北の人たちの犠牲はあまりにも大きなものでした。その人たちのことを思うと、今、こうして生活していることが申し訳なく思ってしまいます。
 さて、現地の人たちにとって、地震は天災で仕方がないと思ったでしょうが、その後の、原発事故は明らかに自然災害のスケールの大きさを見くびってしまった人間の業の深さによるものでしょう。何メートルの津波なら想定内だとか、自然にはそういう想定は成り立たないところに、想定を立て想定外の出来事にしてしまった人間の浅はかさを反省しなければなりません。自然には想定はありません。
 因縁果で、原因に応じて、何でも起こってしまいます。自然と対立する原子力がなくならない限りそういうことは起こってしまいます。体験した人でないと分からない心の内を考えるともう日本は脱原発しかないと思います。
 戦後の農地改革のような大きな改革が必要ではないでしょうか。一人の人の考えはわずかですが、それを大きなエネルギーにして行く必要はあると思います。それに、戦争を知らない団塊の世代が何かしら関わっていくことも出来るのではないかと思っています。


 さて、一見静止して見えるものも、絶対的に静止しているのでなく、互いに正反がバランスよく釣り合っているから、そうなっているのだという事実も見逃すことはできません。地球も止まっているように感じますが、実のところ、毎日、高速で自転し公転しているのです。地球が球だというと、反対側にいる人は自分を中心にしてみれば、逆立ちしているのと同じです。あまりにも地球が大きいので、地球は平らだと思ってしまいます。
 さて、現在の平和も微妙なバランスの上で成り立っているのも、よく観察すると分かることでしょう。最近の世の中は自然と人間生活のバランスが人間中心に偏ってきているように思います。その辺からも脱原発の動きはこの事件を境に大きなトレンドになっていくことでしょう。そう、しなければいけません。

 この今回の大震災は「ノーモア広島」の災害以上に大きなものともいえます。ですから、この時期を戦後65年からの脱却、戦後から震災元年に変えていく必要がありあます。また、今後、団塊の世代が最後の力を出して行く元年でもあり、団塊元年として、新しい生き方を求めて行くエポックにしたいと思います。 まだまだ、団塊世代には大きな力が残っています。私たちの地区でも自治会の長は殆ど団塊の世代がしめるようになりました。団塊世代はがんばりましょう!
 私たち世代には戦後、阪神大震災、石油パニック、万博、東京オリンピック、東名、新幹線以外、大きな節目がなかっように思います。今回の大震災はほんとに日本人を覚醒させる大きな節目だと思います。この出来事を忘れることなく、ここを境に私たちがよりよい復興日本を作る起爆剤にして欲しいです。絶対この事を風化させないようしなければなりません。
 

コメント
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