mt77のblog

信州松本からの投稿(2004年11月11日~)

新御霊(あらみたま)

2017-12-01 | 松本市の伝統を感じる行事

新御霊(あらみたま)

新御霊(あらみたま)は、長野県でも中南信の一部で行なわれている年末の行事です。

新御霊(あらみたま)の御棚

松本市誌によると、「死者の霊が盆と同様に正月にも家を訪ねる」と言う事から、年の暮れに親戚・同姓・組などが「新御霊」のお見舞いをします。
その昔は、「新霊見舞」と書き記した米・線香・蝋燭などをもって「お義理に行く」と称しお見舞いをしていたようですが、現在はお金に変わっています。
お見舞い(お参り)を受ける家は12月の初旬頃に「御棚」を作り亡くなった方の霊を祭ります。
新御霊のお参りは、以前は12月31日のお年取り過ぎにも行われていたようですが、現在は12月10日前後から25日前後にお参りをすることが多いようです。
この間、何時誰がお参りに来てくれるか分らない為、お見舞いを受ける家では留守にすることが出来ません。
お見舞いに来た方は「お寂しいお正月で ご折角でございます。」と言うような口上を述べた後、「御棚」をお参りします。
お参りをいただいた家ではお茶で接待をし、帰る際は用意しておいた「お返し」を渡します。


※アラミタマは松本市誌では「新霊(見舞)」となっています。
我が家では「新御霊」を使っています。


※写真右上の黒い部分は「位牌」があり、左上黒い部分には「遺影」があります。
※四十九日、新盆(あらぼん)、一周忌の法要でもこの御棚と同じ飾り付けをします。
※新御霊は四十九日が過ぎないと仏様になっていませんのでお参りはしません。
※新御霊に行く時間
 午前でも午後でも可と思います。
 我が家に新御霊でお参りにお出でいただいた方で一番遅い時間に来られた方は夕方6時頃でした。
※服装
 男女とも華美でない普段着でのお参りになります。
 男性はネクタイ無しで、上着を羽織る事が多いようです。
 黒色の礼服(喪服)でお参りという方を私は見た事がありません。
※熨斗袋の表書き
 松本市誌によると「新霊見舞」ですが、我が家では「御仏前」と墨書します。
 四十九日が過ぎ、既に仏様になっていますので「御霊前」の表書きは駄目です。
※神式で葬儀を執り行った家への新御霊のお参り
 以前、神式で葬儀をなされた家に何も考えずに新御霊のお参りに行った事があります。
 その家にはお棚に線香が用意されていました。
 事前に何気なく新御霊のお参りについてお聞きしておくのが良いのかもしれません。
※我が家では「一周忌」を「いっすいき」と読んでいます。
家によって、訪ねた時間によって違うとは思いますが、お酒をふるまう家、簡単な昼食を出す家などもあるようです。⇦ 私は最近お酒をふるまわれた事、昼食を出された事は一度もありません。

※2007-12-21 初投稿
 2017/12/01 一部加筆修正

コメント (6)
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金沢ひがし茶屋街 懐華樓(かいかろう) 朱の間

2017-12-01 | いろいろなデータ
いい物を見せていただきました。

金沢ひがし茶屋街にある懐華樓(かいかろう)の朱の間です。

金沢ひがし茶屋街 懐華樓(かいかろう) 朱の間

金沢ひがし茶屋街 懐華樓(かいかろう) 朱の間

見学した時には紅緋の絨毯が敷かれていましたが、宴席の時には外され、畳敷きの部屋となるようです。


この朱の間の奥に群青の間がありましたが、見るのに精いっぱいで写真を撮り忘れてしまいました。
群青の間は主に武家のお客様をもてなすための部屋との事ですが、特別に身分の高い方しか出入りが出来なかったようですし、廊下からは茶屋街の表通りを見降ろす事ができるそうです。
いい時代です。平民の私が入室できる時代になりました。
朱の間と群青の間には市松の間がありますが、この市松の間は朱の間と群青の間の客同士の会話が聞こえないように設けてある防音空間のようです。

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