8月21日(日)、由利本荘市の羽後本荘駅に着いたのは、16時過ぎでした。ホテルに入るには、少し早いし、夏の太陽はまだまだ空に浮かんでいることから、本荘城址に行ってみることにしました。20分程歩いて、入口に到着です。
入口には、鶴舞城址と書かれています。本荘城址の別名だと思いました。後で知ったのですが、尾崎城という呼び方もされています。城跡は本荘公園になっています。
本丸に向かう坂を歩いていて気が付きました。トップの写真のように、全く石垣が有りません。「石垣は取り壊されたのかな?」と考えていました。案内図と解説が有り、解りました。
本荘城は土塁と堀で固めた「土塁の城」で、石垣は築かれなかったのだそうです。こうした築城様式で有名な城なのだそうです。珍しいのではないかと思います。
もともと最上義光の臣、本城満茂の城が有ったところだそうです。そこに最上氏が5万5千石の本拠として、1613年(慶長3年)ここに本荘城を築いたそうです。1622年(元和8年)、跡目相続のお家騒動から最上氏が改易となり、本城満茂もこの地を去りました。その後、由利領はいったん宇都宮城主本多正純の領地となります。そして、1623年(元和9年)、六郷政乗がこの地に入ります。しかし、領地が分割され、2万石となったため、六郷政乗は、城の規模を縮小したそうです。
その後、本荘城は六郷藩の居城として栄えたが、1868年(明治元年)の戊申戦争で焼失してしまったそうです。
修身館なる建物が有りました。
本荘城の三の丸にあった、藩校「修身館」に由来する建物です。2005年(平成17年)にオープンした施設です。由利本荘市の歴史・文化を学習するための施設です。
本丸の館なる建物も有りました。
そこからの眺めは下の写真です。
それほど高い場所でも無いので、このような眺めです。本荘城には天守閣は無かったそうです。なので、城が有った当時もこのような眺めだったのでしょう。