5月21日(日)、姫路駅前のホテルを早朝に立ち、私はJRで備中高梁駅に向かいました。駅を出て、歩いて目的の臥牛山にある備中高松城に歩みを進めました。
坂を登って行きました。棚田の向こうに高梁市の街並みが見えます。
坂道はさらに急になりました。イノシシか何かを防ぐためでしょう。道には電気柵が有ります。
電気柵に触らないよう、山側の方を私は歩きました。
やっと駐車場のところに着きました。
ここまで、1時間ぐらい歩きました。さらに20分程度、山を登ります。さすがに山城です。
やっと石段が見え、城に近づいてきました。
城に着きました。
ここでは、冷たいお茶が無料で振る舞われています。これがおいしいです。
備中松山城の天守閣は、トップの写真のように2層2階の建物です。それほど大きくはありません。
中に入ると、釘や鎹等を使わず、木組だけで城ができています。
窓の部分には三角形のものが付けられています。これは、外からは見えにくくするためだそうです。
この城には、囲炉裏が有ります。山城で高い位置にあるので、寒かったからこれで暖を取ったのでしょうか。
天守からの眺めは下の写真です。
備中松山城は、かなり古くから城が築かれたそうです。鎌倉時代の1240年(延応二年)にこの地方の地頭に任ぜられた秋葉三郎重信が臥牛山のうちの大松山に砦を築いたのが初めだそうです。1574年(天正二年)に起こった備中兵乱時には、「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれ、一大要塞になっていたことが記録に残っているそうです。三村氏の後は、毛利氏の拠点として、さらに江戸時代には、小堀正次、政一(遠州)国奉行として赴任したそうです。浅野家も一時、支配していた時があるようです。
天守閣は重要文化財ですが、こちらの二重櫓も重要文化財になっています。
天然の岩の上に石垣を築いています。
この山に城を築くのは、たいへんな労力だったと思います。下から登ってみて、実感できました。