京都の第三代府知事、北垣国道は、明治維新により遷都され、活力を失った京都に琵琶湖疏水を造り、電気を興し、工場を作り、舟運を盛んにすることで活力を与えようと考えます。そして、造られたのが、琵琶湖疏水です。1885年(明治18年)から工事が始まり、1890年(明治23年)に完成します。造られた電気で、日本で最初の路面電車が京都の街を走りました。その後、電力需要に対応するため、第二疏水が1908年(明治41年)から1912年(明治45年)に建設されました。
私は土木技術者(かなり関係の無い仕事も多くしていますが)ですので、一度はこの琵琶湖疏水を見たいと思っていました。3月3日、関西空港から綾部へ行く途中(天の橋立を見るためです)で、京都で下車し、まずは蹴上インクラインを見に行きました。
インクラインは、落差の大きい水路部分に船を通すために設置される傾斜鉄道です。トップと下の写真です。
インクラインも鉄道です。船を運ぶため、かなり幅の広い軌間となっています。枕木も長いです。犬釘でレールは枕木に固定されています。
琵琶湖疏水では、蹴上のほか、伏見にもインクラインが建設されたそうです。インクラインは、琵琶湖疏水により、発電された電気を動力としていました。しかし、蹴上インクラインは船運が、鉄道等に地位を奪われたため、1948年(昭和23年)には停止しています。
琵琶湖疏水の設計、現場に当ったのは、田邉朔朗氏です。銅像が建っていました。
下の写真の管を見て、「これは、発電所に水を送る管だな。」と思いました。
正解です。関西電力が発電のための水利権を取得している旨の看板が設置されていました。
インクラインほかの施設を見た私は、次の「ねじりまんぼ」を見に向かいました。