3月11日(月)は、山口県岩国市から始めて、和木町を経て、広島県大竹市に至るという郵便局訪問でした。

訪問したのは、次の局です。
岩国錦見、岩国西、岩国川西、岩国平田六、岩国藤生、南岩国三、岩国尾津簡易、岩国愛宕、岩国川下、岩国今津、岩国室木、岩国、岩国元町、岩国新港(以上、岩国市)、和木(和木町)、小瀬簡易(岩国市)、大竹木野、大竹本町、大竹、大竹栄町、大竹木戸(以上、大竹市)
21局の訪問です。山口県和木町内には、和木郵便局1局しか有りませんので、和木町は完訪です。

トップの写真は、8250局目となった南岩国三郵便局です。
岩国市のマンホールには、錦帯橋と鵜飼、そして岩国城が描かれています。

錦帯橋に近い地域には、古い建物が現役で使用されていました。山口銀行に細田寫眞場です。



「細田寫眞場」は、横に書かれたものを右から左に読みます。写真も旧字です。
「作家の宇野千代さんの生家と墓はこちらです」との案内板が有りました。「おはん」「色ざんげ」などで有名です。

川の中州に菜の花が鮮やかに咲いていました。春の息吹を感じます。


「しろうお料理」との幟が建つ立派な建物が川岸に有りました。


割烹旅館「油政」です。

「しろうお(素魚)」と「しらうお(白魚」は別のものであることを知りました。

「エッ!不発弾処理の為の通号止め。」と驚いたのが下の看板です。


こちらの旧学校と思われる部分で不発弾が発見されたのでしょうか?

和木町に入りました。

モクレンでしょうか?綺麗に咲き誇っています。


「岩国和紙の発祥はここだったのか!」と教えてくれたのが岩国市小津にあった下の掲示です。


太郎右衛門という方が、天正年間(1573年~1592年)に製紙の仕事をこの地で始めたのが最初だそうです。
大竹市に入ると旧街道だったのでしょうか、蔵のある通りが私の歩みを後押ししてくれました。



美しい景観でした。
