しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

奈良県郵便局訪問 NO.3 奈良市・生駒市・木津川市 梅の咲く中、古都奈良も感じ、京都府木津川市まで歩きました

2018-03-10 22:40:59 | Weblog

 3月5日(月)は、3回目となる奈良県の郵便局訪問でした。奈良市西部から、生駒市に入り、再び奈良市の南部、そして北上し、京都府木津川市まで歩きました。ほぼ1日中、雨が降る最悪の天気で、訪問数は少なくなりました。ほとんどが新興住宅地でしたが、でも、梅の花の咲く中、古都奈良を感じることもできました。訪問したのは、次の18局です。

 学研奈良登美ケ丘、奈良登美ケ丘、奈良登美ケ丘西(以上、奈良市)、生駒あすか野(生駒市)、奈良鳥見、奈良富雄、奈良帝塚山南、奈良学園大和、奈良中町、奈良赤膚、奈良西ノ京、奈良宝来、奈良菅原簡易、奈良あやめ池、奈良西、奈良朝日、奈良平城(以上、奈良市)、木津兜台(京都府木津川市)

 トップの写真は、今年の1月29日に開業したばかりの7774局目の学研奈良登美ケ丘郵便局です。


 登美ケ丘の3つの郵便局を訪問した後、生駒市に入りました。

 

 奈良市と生駒市の境は何なのかよく分かりませんでした。


 「粉もん屋八」が有りました。

 

 書かれているとおり、「奈良B級グルメ優勝、奈良グルメランキング1位」に輝く、人気店のようです。店内で飲食できる店とテイクアウト専門店が有ります。30店舗のチェーン店です。


 奈良市のマンホールの蓋には、鹿がいます。また、梅の花も描かれています。

 

 季節がら、梅の花が見事でした。

 

 

 薬師寺には、紅梅と白梅の咲く参道が有りました。

 

 「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」を思い出しましたが、これは菅原道真が京都北野天満宮の梅を詠んだものでした。


 歩いていると、探し犬や探し猫の張り紙は良く見かけます。でも、鳥は珍しいと思います。

 


 赤膚焼という焼物があることを知りました。

 

 桃山時代に豊臣秀吉の弟、豊臣秀長が五条山に窯を開いたのが始まりだそうです。名前の通り、赤みを帯びた焼物だそうです。赤膚焼は6つの窯元が有り、奈良市には4つあるようです。


 古都奈良を感じると思ったのが、下の薬師寺から唐招提寺に向かう道です。

 


 垂仁天皇陵が有りました。前方後円墳です。

 

 第11代天皇です。驚いたことに、天皇陵の飛び地も有りました。

 


 前回の1月の訪問で、名古屋市もほぼ1日、雨が降りました。今回の奈良市も1日中、雨でした。今年は雨降りの中を歩く郵便局訪問が多そうです。
 
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初めて行った、愛知県犬山市の博物館明治村、広すぎて4丁目の一部までしか、見ることができませんでした

2018-03-08 21:56:01 | Weblog

 今年の1月14日(日)に行った、愛知県犬山市の博物館明治村。午後からだと全部は見きれませんでした。4丁目の途中までであり、5丁目には行けませんでした。

 4丁目の最初は、歩兵第六聯隊庁舎です。

 

 1873年(明治6年)に建築されたそうです。明治政府は、近代的な軍隊を組織し、名古屋に歩兵第六聯隊を置いたそうです。兵隊さん達のベッドです。奥に鉄砲が置かれています。


 

 下は日本赤十字社中央病院棟です。元は渋谷区広尾にあったそうです。

 

 1890年(明治23年)に建築されました。
 病院の正面には、桐、竹、鳳凰が浮彫になった額が有ります。

 

 こちらが病室です。

 

 当時の手術道具も展示されていました。

 


 蒸気機関車が有りました。

 

 尾西鉄道が開業するに当たり、アメリカのブルックス社から輸入した蒸気機関車だそうです。1897年(明治30年)のことだそうです。


 私の好きな橋梁も展示されています。六郷川鉄橋です。トップの写真です。
 ポニートラス形式の橋梁です。英国の土木技師ボイルが設計したものをリバプールのハミルトン・ウィンザー・アイアンワークス社が製作し、輸入されたものだそうです。1875年(明治8年)に東海道線の多摩川に架けられました。橋の全長は500mで、このようなポニートラスが六連使われていたそうです。
 1912年(明治45年)には、東海道線を複々線化するため、外され、単線用に改造され、1917年(大正4年)に御殿場線の酒匂川の橋梁に転用されたそうです。そして、1965年(昭和40年)に酒匂川でも使命を終えたそうです。トラス形式は部材と部材の間に回転できるヒンジがあるとして、解析します。でも、本当にヒンジを挿入することはあまりないと思いますが、この橋梁はヒンジが入っています。

 


 鉄道寮新橋工場は、機械館になっています。ゐのくち式渦巻ポンブが有りました。揚水ポンプとして、1912年(明治45年)に製造されたものだそうです。千葉県桁沼揚水機場で1985年前後まで使用されていたものだそうです。

 

 まだまだ見たかったものも有ります。次の機会に見てみたいと思います。博物館明治村は、私にとってはとても楽しい博物館でした。
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旅のお供 その160 高知市では、ひろめ市場で土佐鶴を飲んだのですが、ホテルでも司牡丹の金鳳ほろよいカップをいただきました

2018-03-06 23:23:34 | Weblog
 
2016年12月18日です。この日、私は高知市内の観光をしました。はりまや橋、高知城、桂浜と回り、ひろめ市場で夕食にしました。ひろめ市場では、当然、瓶入りで熱燗にした土佐鶴をいただきました。ホテルに入る前、コンビニに寄り、さらに司牡丹の金鳳ほろよいカップを買い、ホテルで飲みました。金鳳で無いのは、以前に高知市に来たとき、飲んでいます(2012年1月19日 旅のお供 その42で紹介しています)。

 司牡丹は、高知県高岡郡佐川町の司牡丹酒造㈱が醸造しています。慶長8年(1603年)関ヶ原の戦いの功績により、土佐の領主となった山内一豊。その山内家の首席家老、深尾和泉守重良が佐川に入った際、従ってきた酒造り商人が前身だそうです。
 明治政府の宮内大臣を務めた田中光顕氏が、この佐川の酒を愛飲し、「天下の芳醇なり、今後は酒の王たるべし」と激励の一筆を寄せ「司牡丹」命名したのだそうです。「牡丹は百花の王、さらに牡丹の中の司たるべし」という意味だそうです。
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高知市で高知城を見た後、追手筋の日曜市を見ていたら、乳母車に乗った猫ちゃんに会いました 猫との出会い その134

2018-03-03 00:02:09 | Weblog

 もう一昨年前になります。2016年12月18日のことです。高知県高知市に行った私は、高知城を見た後、追手筋を歩いて、はりまや橋に向かいました。
 追手筋では、日曜市が開催されていました。





 年末年始とよさこいの期間を除き、300年以上の歴史のある市だそうです。1300mに400軒の店が出店するそうです。柑橘類が売られています。ミカン、ゆず、文旦、レモンなど美味しそうです。



 日曜市の外れに差し掛かった交差点で、乳母車に乗った猫ちゃんに会いました。トップの写真です。おとなしく乗っています。
 残念ながら、乳母車に乗ったまま去っていきました。一瞬の出会いでした。

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中部国際空港で、矢場とんのみそかつをいただきました。味に馴染みはありませんが、美味しかったです

2018-03-01 21:12:30 | Weblog

 1月17日(水)、札幌に帰るため、中部国際空港に着いた私は、夕食を取ろうと思いました。選んだのは、矢場とんのみそかつです。
 味噌の味には馴染みが有りませんが、美味しいです。私は豚肉が大好きな人間であることも、美味しいと思う理由のひとつでしょう。

 「矢場とん」の創業は1947年(昭和22年)だそうです。創業者は鈴木義夫氏です。どて鍋(もつ煮込み)に串カツをつけて食べたら美味しかったことから、考案したそうです。みそだれを完成させ、「矢場のとんかつ」という店を南大津通四丁目電停前にオープンさせたそうです。
 店舗は、東京、大阪のみならず、福岡、福島県いわき市、富山県小矢部市にも有ります。
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