しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

千葉県佐倉市では、武家屋敷が移築や復元されており、見学することができます。私も行ってみました

2018-07-12 20:08:44 | Weblog

 佐倉城址から歩いて、急な坂道を登りました。坂道は「佐倉の古道 くらやみ坂」との名称が着けらえています。

 

 通りにぶつかった所を左に曲がると、目指していた武家屋敷が有りました。旧河原家住宅です。

 

 その当時、武家屋敷の規模や様式は、居住する藩士の身分の象徴だったそうです。こちらの河原家住宅は身分の高い家だったそうです。屋根は茅葺です。

 

 こちらは、屋敷に上がることはできませんので、屋敷の周りから家の様子を観ます。私は、日本の家屋には必ず、陰と陽があると思います。

 

 こちらは、台所です。

 


 その右隣りには、旧但馬家住宅が有ります。行った時は、工事が行われており、門が閉鎖されています。さらにその隣の旧武居家住宅から回らなければ、行けません。

 


 武居家住宅の門です。

 

 武居家住宅は上がることができます。武井家は身分はそれほど高くない藩士だったそうです。でも、質素だけで、美しいと思ったのが玄関から眺めた座敷です。やはり、陰と陽が調和しています。トップの写真です。

 前にもこのブログに書きましたが、「古い日本の家の壁は、土と竹でできている。」を解説したものが有りました。

 

 そして、門からは入れなかった旧但馬家の住宅に向かいました。

 

 こちらも屋敷に上がることができます。中くらいの身分の藩士だったそうです。鎧、兜が置かれていました。厳粛な感じがします。

 
 
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千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館のレストラン「さくら」で、お昼に古代米カツカレーをいただきました

2018-07-10 20:46:58 | Weblog

 6月17日(日)、私は千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館に行きました。展示を見終わると、13時になっていました。かなり、見ごたえが有り、時間がかかりました。そこで、レストラン「さくら」で」古代カツカレーをいただくことにしました。時間が時間ですので、待たずに座れ、ほどなく古代米カツカレーが出されました。トップの写真です。

 何とも言えない、くすんだ紫色のご飯にカレーがかかっており、カツが載っています。古代米の一種である「黒米」を白米に一割ほど混ぜているのだそうです。「黒米」は、皮にポリフェノールの一種、アントシアニンが含まれているため、黒くなっているそうです。なので、健康に良いとか。
 ご飯はかなり、もちもちしていた気がします。カツもカレーもなそれなりに、美味しかったです。私のお昼にしては、この日は、かなり贅沢でした。

 

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神奈川県郵便局訪問 NO.16 横浜市青葉区、緑区、旭区、瀬谷区 大山街道や海軍道路を知ることができました

2018-07-08 15:03:23 | Weblog

 6月19日(火)と20日(水)は、神奈川県の郵便局訪問でした。19日(火)は、東急田園都市線の青葉台駅から出発し、横浜市の青葉区、緑区、旭区、瀬谷区と歩き、相鉄線の三ツ境駅まで行きました。訪問したのは、次の22局です。

 横浜鴨志田、横浜桜台、横浜柿の木台、横浜藤が丘、横浜しらとり台、青葉台駅前、青葉台、横浜青葉台二、田奈駅前(以上、青葉区)、長津田駅北口、長津田、横浜十日市場、横浜霧が丘(以上、緑区)、横浜若葉台(旭区)、横浜卸本町簡易、横浜本郷原、横浜細谷戸、横浜瀬谷北、瀬谷、横浜瀬谷南、横浜三ツ境、三ツ境駅北口(以上、瀬谷区)

 この訪問で、横浜市青葉区と緑区は完訪となりました。トップの写真は、7929番目となった、横浜卸町簡易郵便局です。


 青葉台駅から横浜鴨志田郵便局へは歩きました。かなりの距離ですが、丈夫な足と時間があるので大丈夫です。途中、アジサイの花が見事に咲いていました。

 


 「日体大FIELDS横浜は、なでしこリーグの1部なんだ。」と気づいたのが下のポスターです。

 

 しかし、1部で苦戦しているようです。0勝2分7敗で、現在、最下位です。


 青葉台駅周辺の開発について、書かれている「恩田の開発事業」という碑が有りました。

 

 1953年(昭和28年)、東京急行電鉄㈱により、住宅都市を建設する計画が発表されました。その後、1956年(昭和31年)に東京急行電鉄㈱会長の五島慶太氏が自ら乗り込んで来て、それまでの自動車専用道路による輸送では無く、鉄道による輸送で開発したいと説得に当ったそうです。その結果、330haを土地区画整理事業で開発することになったそうです。そして、今の街並みが形成されています。


 長津田郵便局から、横浜十日市場郵便局に向かっていると、旧大山街道と書かれていました。

 

 大山街道は、江戸赤坂御門から大山阿夫利神社までを結んでいた街道だそうです。長津田には、宿があったそうです。


 瀬谷区に入り、住宅等が無いほぼ真っ直ぐな道路を進むと、突然、並木道になりました。しかも、並木の外側に歩道が設けられています。

 

 木がかなり太く、大きいことから近年造られた道ではないと思いました。

 

 しばらく歩くと、「海軍道路」の看板が有りました。

 

 戦前のこの辺りには、旧日本海軍の弾薬庫や補給庫等があったそうです。そして、列車の引込線も設置されていたそうです。「アッ!さっき、なんだか転車台の跡みたいだなと思ったのは正解だったんだ!」第二次世界大戦後、1951年(昭和26年)より、米軍の上瀬谷通信施設として使われていました。2015年(平成27年)6月30日に返還されました。下の写真は返還された部分でしょうか?

 


 雨水貯留地と思われる中に立派な施設が造られています。

 

 傘を逆さにしたようなものに、ゴルフみたいにバドミントンのシャトルのようなものを打ち込んでいます。「こういうスポーツも有るんだ。」と初めて知りました。


 三ツ境駅近くで多くの方が並んでいる中小路が有りました。「美味しいお店の開店を待つお客さんかな?」と思いましたが、間違いでした。その行例を通り過ぎたところで、バスが来て分かりました。

 

 バスが走る道路の歩道は幅員が極端に狭いため、バス停に並ぶと人も自転車も通れなくなることから、この中小路にバスを待つ方が並んでいたのでした。素晴らしいと思います。バスの運転手も分かっていて、停留場をかなり過ぎて、バスを停めてくれます。皆で築き上げたマナーなのでしょう。


 三ツ境駅前には、ミストが設置されていました。

 

 暑かったので、通り過ぎるのが気持良かったです。
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旅のお供 その167 長野県上田市のホテルで、和田龍酒造㈱の「リュウカップ」をいただきました

2018-07-07 10:36:04 | Weblog

 昨年の6月11日(日)です。私は、別所温泉や上田市内を観光した後、上田市内のホテルに入りました。そして、買ってきた和田龍酒造㈱が醸造する「リュウカップ」をいただきました。

 

 「リュウカップ」を醸造する和田龍酒造㈱は、上田市内に有ります。創業は1887年(明治20年)です。酒造業のかたわら、ぶどうの品種改良にも取り組み、「ぶどう和田龍」を作ったそうです。それが、好評だったことから、酒銘も「和田龍」としたそうです。

 翌日、上田市内の郵便局を訪問していて、和田龍酒造㈱を見つけました。

 
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千葉県佐倉市にある国立民歴史民族博物館に行きました。数々のジオラマ等が有り、見ごたえがありました

2018-07-04 20:15:02 | Weblog

 6月17日(日)です。新千歳空港から成田空港に降りた私は、京成電車で佐倉駅に着きました。そして、国立歴史民族博物館を目指しました。

 

 

 国立歴史民俗博物館は、大学共同利用機関法人人間文化研究機構が運営する博物館です。1983年(昭和58年)から一般公開されたそうです。第1から第6までの展示室が有ります。第1が先代・古代ですが、行った時は休館中でした。第2は中世、第3は近世、第4は民族、第5は近代、第6は現代の展示となっています。

 この博物館の特徴はジオラマが多いことです。

 下の写真は、中世の荘園のジオラマだったと思います。

 

 下の写真は、中世の京都の町屋のジオラマだったと思います。

 

 そして、江戸の街のジオラマです。

 

 こちらは、明治の横浜港のジオラマだったと思います。

 


 第4展示室では、百種怪談妖物双六(むかしばなしばけものすごろく)が床に有りました。

 

 1858年(安政5年)に造られた錦絵だそうです。

 河童もいました。

 

 そして、たくさんの招き猫も置いて有りました。トップの写真です。中国では、猫ではなく、招き豚になるようです。


 下の写真は、明治維新となり小学校で音楽の授業に使われた「山葉オルガン」だそうです。

 

 ユニオンビールのポスターが有りました。

 

 ユニオンビールは、日本麦酒鑛泉という会社が製造していたビールです。1933年(昭和8年)に大日本麦酒に併合されるまで販売されたそうです。


 私は1958年(昭和33年)生まれです。なので、こうした景色は子供の頃、まだ残っていた記憶が有ります。

 

 

 そして、団地のDKは、子供の頃、良く見かけるものでした。

 
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姫路城を見たあと、西御屋敷跡、武家屋敷跡に造られた、日本庭園である「好古園」にも行ってみました

2018-07-02 20:33:10 | Weblog

 5月20日(日)、私は姫路城を見た後、西御屋敷跡、武家屋敷跡に町筋を生かして造られた日本庭園である「好古園」に行ってみました。「好古園」は正式には「路城西御屋敷跡庭園」というそうです。入口付近にあった藩校「好古堂」に因んで、「好古園」と呼ばれるそうです。姫路市制100周年を記念し、1992年(平成2年)に開園しています。

 

 

 入口を入り、奥へと進みます。どのような庭園なのか期待が膨らみます。

 

 池が見えてきました。陰と陽のコントラストが素敵に感じます。

 

 錦鯉が泳ぎ、花が咲く池泉回遊式庭園は素敵な姿です。トップと下の写真です。

 

 

 

 「好古園」には、この池泉回遊式庭園の他、武家屋敷だった部分に裏千家監修による茶室と茶庭、苗圃に加え、6つの小庭園が有ります。京都大学教授の中村一氏の設計監修で造営されたそうです。

 素敵な道が続きます。

 

 築地塀の通りも素敵です。

 

 こちらは、小庭園の部分です。

 

 

 ゆったりと眺めたいです(この日の私は、岡山へ移動しなければならず、そんな余裕は有りませんでしたので、特にそう思いました)。


 苗圃が有るからでしょう。山野草の苗が売られていました。茶花にするためだと思います。

 

 
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