6月19日(火)と20日(水)は、神奈川県の郵便局訪問でした。19日(火)は、東急田園都市線の青葉台駅から出発し、横浜市の青葉区、緑区、旭区、瀬谷区と歩き、相鉄線の三ツ境駅まで行きました。訪問したのは、次の22局です。
横浜鴨志田、横浜桜台、横浜柿の木台、横浜藤が丘、横浜しらとり台、青葉台駅前、青葉台、横浜青葉台二、田奈駅前(以上、青葉区)、長津田駅北口、長津田、横浜十日市場、横浜霧が丘(以上、緑区)、横浜若葉台(旭区)、横浜卸本町簡易、横浜本郷原、横浜細谷戸、横浜瀬谷北、瀬谷、横浜瀬谷南、横浜三ツ境、三ツ境駅北口(以上、瀬谷区)
この訪問で、横浜市青葉区と緑区は完訪となりました。

トップの写真は、7929番目となった、横浜卸町簡易郵便局です。
青葉台駅から横浜鴨志田郵便局へは歩きました。かなりの距離ですが、丈夫な足と時間があるので大丈夫です。途中、アジサイの花が見事に咲いていました。
「日体大FIELDS横浜は、なでしこリーグの1部なんだ。」と気づいたのが下のポスターです。
しかし、1部で苦戦しているようです。0勝2分7敗で、現在、最下位です。
青葉台駅周辺の開発について、書かれている「恩田の開発事業」という碑が有りました。
1953年(昭和28年)、東京急行電鉄㈱により、住宅都市を建設する計画が発表されました。その後、1956年(昭和31年)に東京急行電鉄㈱会長の五島慶太氏が自ら乗り込んで来て、それまでの自動車専用道路による輸送では無く、鉄道による輸送で開発したいと説得に当ったそうです。その結果、330haを土地区画整理事業で開発することになったそうです。そして、今の街並みが形成されています。
長津田郵便局から、横浜十日市場郵便局に向かっていると、旧大山街道と書かれていました。
大山街道は、江戸赤坂御門から大山阿夫利神社までを結んでいた街道だそうです。長津田には、宿があったそうです。
瀬谷区に入り、住宅等が無いほぼ真っ直ぐな道路を進むと、突然、並木道になりました。

しかも、並木の外側に歩道が設けられています。
木がかなり太く、大きいことから近年造られた道ではないと思いました。
しばらく歩くと、「海軍道路」の看板が有りました。
戦前のこの辺りには、旧日本海軍の弾薬庫や補給庫等があったそうです。そして、列車の引込線も設置されていたそうです。

「アッ!さっき、なんだか転車台の跡みたいだなと思ったのは正解だったんだ!」第二次世界大戦後、1951年(昭和26年)より、米軍の上瀬谷通信施設として使われていました。2015年(平成27年)6月30日に返還されました。下の写真は返還された部分でしょうか?
雨水貯留地と思われる中に立派な施設が造られています。
傘を逆さにしたようなものに、ゴルフみたいにバドミントンのシャトルのようなものを打ち込んでいます。「こういうスポーツも有るんだ。」と初めて知りました。
三ツ境駅近くで多くの方が並んでいる中小路が有りました。「美味しいお店の開店を待つお客さんかな?」と思いましたが、間違いでした。

その行例を通り過ぎたところで、バスが来て分かりました。
バスが走る道路の歩道は幅員が極端に狭いため、バス停に並ぶと人も自転車も通れなくなることから、この中小路にバスを待つ方が並んでいたのでした。素晴らしいと思います。バスの運転手も分かっていて、停留場をかなり過ぎて、バスを停めてくれます。皆で築き上げたマナーなのでしょう。
三ツ境駅前には、ミストが設置されていました。
暑かったので、通り過ぎるのが気持良かったです。