ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

母川回帰

2014-12-17 20:37:30 | 北の湘南・伊達
 伊達に、移り住んで2年半になる。
一番のお気に入りは、この土地の風景だろう。

 町の南には、海・噴火湾がある。
その海岸から徐々に徐々に扇状地の斜面が広がり、
『コンパクトシティー』と言える市街地を形成している。

 背後は、北西に、今も噴煙を上げている有珠山と昭和新山を望みながら
丘陵性の台地が広がっている。
北東は、紋別岳や稀府岳などが連なる東山が、
噴火湾に向かってなだらかな裾野を伸ばしている。

 この景観が四季折々に色模様を変え、
また、その日その日、日の出から日の入りまで
様々な表情を楽しませてくれる。

 初めてこの町を訪ねた時、
強く印象に残ったのが、この美しい眺望であったが、
それと共に、もう一つ、
川の流れがつくる静かな水の音であった。

 車と人が行き交う町中を流れる川、
そこから聞こえる水音。
何故か、懐かしさを覚えるその音色だけで、
この町が、私を惹きつけるのに十分だった。

 移り住んでみると、
いたるところで水の流れる音がした。
日頃、散歩やジョギングを楽しむ近くの散策路でも、
いつも小川のせせらぎが聞こえた。

 特に、雪解け水をたたえた春の川のせせらぎは、にぎやかで、
自然が織りなす、これからの躍動の日々を予告しているようで、
水の音を聞くだけで、心が弾んだ。

 また、秋には、
小川の脇に自生したクレソンを摘み取る人々と、
流れの水音が、瑞々しさを演出し、
そのマッチングに、一瞬、時を止め、私を見入らせた。

 そんな暮らしのすぐそばで、季節の水音を奏でる伊達の川に、
『鮭が遡上する』ことを知ったのは、つい最近のことだった。

 「今年も気門別川に鮭が帰ってきた。」
と、聞き、散歩がてら家内と行ってみた。

 小学校付近のえん堤に阻まれ、その上流に鮭を見ることはなかった。
しかし、えん堤の下には、鮭が群れをつくっていた。
時には、尾ビレを川面に激しくたたきつけ、なんとかえん堤を越えようと、
激しく動き回り、チャレンジを繰り返していた。
どの鮭も、上流へ上流へと泳ごうとするエネルギーが、波打つ川面にあった。

 「すごい。すごい。」
と、言いながら、ゆっくりと川にそって下流へ行った。
しばらく進んだその先で、私の足は止まった。

そこには、おびただしい数の
黄色や白濁したホッチャレ(鮭の死骸)が、浮かんでいた。

 『母川回帰』と言うのだが、
鮭は、5センチ程の稚魚が川を下り、
3~4年間北太平洋を回遊して、70~80センチに成長する。
そして、生まれた川に戻ってくる。
体内方位磁石と川の匂いの記憶が、それを手助けしていると言う。

 ただただ、そのすごさに脱帽であるが、
気門別川を遡上する鮭は、この川の上流で、放流されたものなのだろう。
長い長い旅路を生き抜いた末に、たどりついた故郷の川である。
残念ながら、えん堤に阻まれ、
産卵場所までたどり着けず、息絶えたホッチャレの長い列。

 私は、その多さに息を飲んだ。何も言葉が無かった。
かすかに聞こえる気門別川の清らかな流れの音。
その透明な響きとは裏腹に、自然が教える冷酷な命の終焉。
そして、「どんなことからも目を背けるな。」
と、私に強さを求める川。

 しばらくの時をじっと立ち尽くした私だった。

 どれだけの時間を必要としたのだろうか。
 自然は私たちにたくさんの美しさを届けてくれる。
しかし、長々と連なるホッチャレから、
私は、生命のはかなさとともに、
懸命に生き抜いた鮭の強さと誇りを、
しっかりと受け取ることができた。

 気門別川に向かい、小さく合掌し、
「来年も、必ず遡上する鮭とその命の末路を見にくる。」と誓った。
そして
「母川回帰などまだまだ無縁。それより俺は北の大海原さ。」と、川を後にした。

 ちなみに、母川回帰する鮭の多くは、
川に入る前に海の定置網にかかり、私たちの食卓にのぼる。
運良く生まれた川に上った鮭のほとんどは、
人工ふ化用の捕獲場で産卵前に捕まってしまう。
川で捕まらなかった鮭や、
捕獲場がなく、えん堤にも阻まれなかった鮭は、
川の上流で自然産卵をし、
産卵後1~2週間で死を迎える。
ホッチャレは、
他の動物たちの貴重な食料となり、
川の豊かさに貢献する。




伊達の雪原 右奥は有珠山




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