▼ 家内とは学生時代に知り合った。
なので、年に何回かはあの頃のことが話題になる。
「男子寮」「女子寮」と言うだけで、
そこがどんなところだったかも、すぐにわかり合える。
学生食堂のあった「厚生会館」も、
そこのメニューも、そこの面倒見のいいおばさんも・・・。
つきあい始めたのは、
私が3年で家内が2年の夏から。
だから、私が1年目2年目の頃の多くを家内は知らない。
その頃のことを、朝食後の茶飲み話にした。
▼ 入学を果たしたものの、
学生生活のプランがないまま、
それよりも一人暮らしの心構えがないまま、
学生寮での生活が始まった。
男子寮は、木造の薄汚い平屋が3棟、
渡り廊下で繋がっていた。
これも床の歪んだ食堂を兼ねた暗いホールが1つあり、
どう言う訳か卓球台が置いてあった。
20畳くらいの大部屋に4人で寝泊まりした。
私の部屋は、3年生と2年生2人に1年生の私だった。
3人の先輩はそろって口が重く、暗かった。
食事の時間も洗濯場も聞くことさえできなかった。
寮内をウロウロして、
1週間以上もかかって寮の全体が分かった。
持ってきた下着の着替えがすぐになくなった。
洗濯の仕方が分からず困った。
洗濯場で洗っている人を見て、やり方が分かった。
洗剤を買って、初めて手洗いをした。
先輩3人との会話がない生活が、すごく不気味だった。
誰もラジオさえ聞かなかった。
いつの間にか押し入れから布団を出し
それぞれ無言のまま寝た。
そんな暮らし方が寮生活なのだと思ったが、
全然馴染めなかった。
▼ やがて、同期の友だちができた。
Y君は、同じ研究室だった。
卓球部にいて、寮ではなく4畳半のアパート住まいだった。
部活が終わると、自分で夕食を作って食べていた。
私が寮のご飯は冷たくて不味いとよく言うので、
時々、「一緒に食べないか」とアパートに誘ってくれた。
小さな折りたたみのテーブルに向かい合い、
フライパンのジンギスカンを食べた。
熱くて美味しかった。
食べながら、ラジオからのお喋りに2人で声を上げて笑った。
いつまでもそうしていたかった。
寮に戻るのがいやだった。
時には「泊まっていくか?」と言ってくれた。
一緒に一枚の布団で寝た。
続いて、T君だが、
どうして仲良くなったのか思い出せない。
高校生の頃に、麻雀を覚えた。
なので、T君の下宿で雀卓を囲むようになった。
下宿のおばさんは、
「大声を出さなければいいよ」と、
徹夜の麻雀も許してくれた。
さほど麻雀には夢中になれなかったが、
寮に戻らず居られるのならと、
T君から誘われると喜んで徹夜麻雀に加わった。
下宿暮らしのT君には、朝と夕方に温かい食事が出た。
「テレビを見ながら食べるんだ」と聞いた。
次第にY君やT君の暮らしに憧れた。
でも、奨学金とわずかな仕送りで、
それ以外に収入がなかった。
寮を出ての暮らしは考えられなかった。
▼ 1年が過ぎた。
私は、痩せた。
学食のおばさんが、
「ちゃんと食べてないんでしょ」と、
昼食時間に厨房の皿洗いをすることを条件に、
残ったメニューを無料で食べさせてくれた。
それでも、少しずつ体調が悪くなった。
大学の保健室へ行き、相談した。
「寮生活ではなく、しっかり食事ができる生活をしないと」
保健室の先生から助言があった。
連休を利用して、帰省した。
無理を言って、大学へ行った。
父や兄に、嫌な寮生活を口にできなかった。
でも、母は直感したようだ。
「どうしたの。何かあったの」
と言ってくれた。
寮を出て、友だちと同じ下宿で暮らしたい。
それには、お金が足りないことを伝えた。
母は「そう、困ったね。困ったね」を何度もくり返した。
そして、翌日だった。
誰もいないところで母は小声で
「みんなには内緒よ。
私の臍繰りから、お金を上げるから、
友だちと一緒の下宿に移りなさい。
絶対に言ったら駄目だよ」
白い紙に小さくたたんだお札を包み、
私の手に握らせた。
「これは3か月分ね。
夏休みには、またあげるから」。
嬉しさより、ホッと安堵した。
「これで寮から出られる!」
気持ちが軽くなった。
大学に戻るとT君の下宿に行った。
タイミング良く、4畳半の1人部屋が空いていた。
6畳に2人暮らしだったT君が、
「俺の方がまだ金があるから、
4畳半に移るよ」と言ってくれた。
私はその好意に甘えた。
下宿のおばさんが
「塚原さん、いい友だちを持ったね」
と言った。
「はい!」
久しぶりに明るい返事ができた。
その後、次第に元気を取り戻した。
家庭教師のアルバイトを探した。
冬休みには、郵便配達のアルバイトもした。
できるだけ、母の臍繰りを当てにしないように努めた。
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氷上にて 陽春をうけ
なので、年に何回かはあの頃のことが話題になる。
「男子寮」「女子寮」と言うだけで、
そこがどんなところだったかも、すぐにわかり合える。
学生食堂のあった「厚生会館」も、
そこのメニューも、そこの面倒見のいいおばさんも・・・。
つきあい始めたのは、
私が3年で家内が2年の夏から。
だから、私が1年目2年目の頃の多くを家内は知らない。
その頃のことを、朝食後の茶飲み話にした。
▼ 入学を果たしたものの、
学生生活のプランがないまま、
それよりも一人暮らしの心構えがないまま、
学生寮での生活が始まった。
男子寮は、木造の薄汚い平屋が3棟、
渡り廊下で繋がっていた。
これも床の歪んだ食堂を兼ねた暗いホールが1つあり、
どう言う訳か卓球台が置いてあった。
20畳くらいの大部屋に4人で寝泊まりした。
私の部屋は、3年生と2年生2人に1年生の私だった。
3人の先輩はそろって口が重く、暗かった。
食事の時間も洗濯場も聞くことさえできなかった。
寮内をウロウロして、
1週間以上もかかって寮の全体が分かった。
持ってきた下着の着替えがすぐになくなった。
洗濯の仕方が分からず困った。
洗濯場で洗っている人を見て、やり方が分かった。
洗剤を買って、初めて手洗いをした。
先輩3人との会話がない生活が、すごく不気味だった。
誰もラジオさえ聞かなかった。
いつの間にか押し入れから布団を出し
それぞれ無言のまま寝た。
そんな暮らし方が寮生活なのだと思ったが、
全然馴染めなかった。
▼ やがて、同期の友だちができた。
Y君は、同じ研究室だった。
卓球部にいて、寮ではなく4畳半のアパート住まいだった。
部活が終わると、自分で夕食を作って食べていた。
私が寮のご飯は冷たくて不味いとよく言うので、
時々、「一緒に食べないか」とアパートに誘ってくれた。
小さな折りたたみのテーブルに向かい合い、
フライパンのジンギスカンを食べた。
熱くて美味しかった。
食べながら、ラジオからのお喋りに2人で声を上げて笑った。
いつまでもそうしていたかった。
寮に戻るのがいやだった。
時には「泊まっていくか?」と言ってくれた。
一緒に一枚の布団で寝た。
続いて、T君だが、
どうして仲良くなったのか思い出せない。
高校生の頃に、麻雀を覚えた。
なので、T君の下宿で雀卓を囲むようになった。
下宿のおばさんは、
「大声を出さなければいいよ」と、
徹夜の麻雀も許してくれた。
さほど麻雀には夢中になれなかったが、
寮に戻らず居られるのならと、
T君から誘われると喜んで徹夜麻雀に加わった。
下宿暮らしのT君には、朝と夕方に温かい食事が出た。
「テレビを見ながら食べるんだ」と聞いた。
次第にY君やT君の暮らしに憧れた。
でも、奨学金とわずかな仕送りで、
それ以外に収入がなかった。
寮を出ての暮らしは考えられなかった。
▼ 1年が過ぎた。
私は、痩せた。
学食のおばさんが、
「ちゃんと食べてないんでしょ」と、
昼食時間に厨房の皿洗いをすることを条件に、
残ったメニューを無料で食べさせてくれた。
それでも、少しずつ体調が悪くなった。
大学の保健室へ行き、相談した。
「寮生活ではなく、しっかり食事ができる生活をしないと」
保健室の先生から助言があった。
連休を利用して、帰省した。
無理を言って、大学へ行った。
父や兄に、嫌な寮生活を口にできなかった。
でも、母は直感したようだ。
「どうしたの。何かあったの」
と言ってくれた。
寮を出て、友だちと同じ下宿で暮らしたい。
それには、お金が足りないことを伝えた。
母は「そう、困ったね。困ったね」を何度もくり返した。
そして、翌日だった。
誰もいないところで母は小声で
「みんなには内緒よ。
私の臍繰りから、お金を上げるから、
友だちと一緒の下宿に移りなさい。
絶対に言ったら駄目だよ」
白い紙に小さくたたんだお札を包み、
私の手に握らせた。
「これは3か月分ね。
夏休みには、またあげるから」。
嬉しさより、ホッと安堵した。
「これで寮から出られる!」
気持ちが軽くなった。
大学に戻るとT君の下宿に行った。
タイミング良く、4畳半の1人部屋が空いていた。
6畳に2人暮らしだったT君が、
「俺の方がまだ金があるから、
4畳半に移るよ」と言ってくれた。
私はその好意に甘えた。
下宿のおばさんが
「塚原さん、いい友だちを持ったね」
と言った。
「はい!」
久しぶりに明るい返事ができた。
その後、次第に元気を取り戻した。
家庭教師のアルバイトを探した。
冬休みには、郵便配達のアルバイトもした。
できるだけ、母の臍繰りを当てにしないように努めた。
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氷上にて 陽春をうけ
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