教育公務員特例法には、以下の条文がある。
『教育公務員は その職責を遂行するために
絶えず研究と修養に努めなければならない』
『教育公務員には 研修を受ける機会が
与えられなければならない』
『教員は授業に支障のない限り 本属長の承認を受け
勤務場所を離れて研修を行うことができる』
この主旨に沿って、教員には
「初任者研修」「10年経験者研修」「指導改善研修」等々、
各種の研修が実施されている。
研修、つまりは研究と修養である。
これが教師の職務の一部なのである。
生々しい言い方になるが、
この研修の時間も含めて、教員には給与が支払われている。
見方を変えれば、なんと恵まれていることかである。
私自身で言えば、この研修を通して、
一歩一歩教員として階段を上った気がする。
特に、校内で実施する研修、つまり校内研修は、
私の教師としての資質向上にはなくてはならないものだった。
この研修が、私をひとり立ちさせてくれたと言っていい。
私の教員生活で、特筆できる校内研修を記すなら・・・。
30歳代前半は、体育指導である。
研究テーマは、『体力つくりの日常化』であったろうか。
当時も今日同様、子どもの体力低下か問題視されていた。
各小学校で、その対応策として業間体育が注目されていた。
中休みや昼休みに、どのようにして目標をもたせ、
体力つくりに取り組ませるか。
その指導の工夫を、同僚や後輩の教員たちと夢中になって考えた。
毎日が試行錯誤だった。充実感があった。
そして、その指導の成果を、研究発表会で披露した。
その発表会で、3年間ご指導を頂いた
体育指導を専門とする講師のI先生から、
「それでも私は、45分間の体育授業の充実が、
体力つくりには一番大切だと思っている。」
との講評があった。
この時、校内研修の中心にいた私は、その言葉に意気消沈した。
しかし、行き着く先は、やはり『授業の充実』なんだと、意を強くした。
その後の、大きな財産になった。
40代前後には、都心の学校に勤務した。
都心では、当時も、中学進学は私立校が主流で、
受験競争が過熱していた。
そんな周りの学校の様相とは異なり、
私が3年目をむかえた年に着任したK校長先生は、真っ先に
「学力・学力の一辺倒ではなく、
個を大切にした教育を大事にしたい。」と言った。
新鮮な風を感じ、私を含め職員は意気込んだ。
その年度から、一人一人の子どものよさを
引き出し・伸ばす指導の工夫を校内研究の課題とした。
研究テーマに『その子らしさの実現』という言葉を加えた。
校内研修がにわかに活気づいた。
「個性の伸長とは」「子どものよさとは」
「よさを引き出すとは」「どんな指導がそれにつながるのか」等々、
いつも、いつまでも議論はつきなかった。
振り替え休業日を利用して、多くの先生達と
他県で同様のテーマで研究している学校に押しかけたりもした。
回を重ねた校内の研究授業で、
いつもご指導を頂いていた都教委のH指導主事先生から、
「子どもが実感できる授業の魅力とは何か。」のアドバイスがあった。
授業は、教師の視線ではなく、子どもの視線でつくるもの、
そして実践するものと気づくことができた。
私が、一皮むけた教師に脱皮できた瞬間だったと思う。
管理職になってからは、国際理解教育の実践を通して、
多文化共生社会に応じたグローバルな教育の重要性や、
私には耳慣れなかった『自尊感情』の育成と言った
研究課題と向きあった。
そんな校内研修を通して、貴重なご意見を頂戴できる方々に出会えた。
『金持ち』にはなれないが、『人持ち』にはなれるかもと思った。
私は、都内9小学校に勤務した。
その全ての学校で、活気ある校内研修が行われていた訳ではない。
中には、貴重な研修の機会を軽視する主張が支配的な学校もあった。
その多くの声は、
「それでなくても忙しいのに、
校内研修など、さらに忙しさを増やすことになるだけ。」
と、言うものだった。
残念であったが、そんな声を一気に逆転させることが
できないままに過ごした学校もあった。
いかに、学校では「忙しい。」が、
有効性のある決め言葉であるかが分かるだろう。
しかし、そうした学校は、総じて校内研修に限らず、
全ての教育活動に覇気がなかった。
そして、子どもをはじめとして、様々なことで難しい課題が噴出していた。
振り返ってみると、改めて校内研修の重要性に気づかされる。
さて、この校内研修であるが、それが果たす役割は次の二つである。
一つ目は、その学校の教育目標やその学校独自の課題・願いの
具現化(解決・達成)のためのものである。
目標達成や課題解決・願いの実現には、教員一人一人の明確な自覚と
全職員のそれへの共通した意識が必要である。
あわせて、そのための具体的な指導の手立てや働きかけ等、
足並みのそろった実践と工夫が求められる。
それらを追求し、共有化を図る役割が校内研修にはある。
二つ目は、教員研修の目的である、
教師としての資質能力の向上のためのものである。
目標の具現化等を目指した全職員による共有化された取り組みのためには、
教員個々人の指導力が問われることになる。
学校における協働した指導のために、教員には
自身の指導技術や手法等が的確なものであるか否か、
そして求められる資質能力がどのようなものか等を
確かめ、それに応じる必要性が生じる。
言うまでもないことであるが、
校内研修でくり返される、研究授業の大きな役割はそのためにある。
最後に、校内研修の特徴を簡潔に整理する。
① 自分の学校の目標・課題・願いを
具体的な研究課題として共有できる。
② 日常の教育実践と研究課題への取り組みが直結し、
学校全体でその解決に迫ることができる。
③ 研修の成果を直接子どもの指導に
反映させることができるので、生きて働く研修になる。
④ 共通の目標達成に向けての取り組みなので、
教員間の協働意識に高まりが生まれる。
⑤ 研修の時間や場に限らず、
学校、地域、子どもの実態等に共通性が得られる。
秋蒔き小麦が、間もなく収穫の時?
『教育公務員は その職責を遂行するために
絶えず研究と修養に努めなければならない』
『教育公務員には 研修を受ける機会が
与えられなければならない』
『教員は授業に支障のない限り 本属長の承認を受け
勤務場所を離れて研修を行うことができる』
この主旨に沿って、教員には
「初任者研修」「10年経験者研修」「指導改善研修」等々、
各種の研修が実施されている。
研修、つまりは研究と修養である。
これが教師の職務の一部なのである。
生々しい言い方になるが、
この研修の時間も含めて、教員には給与が支払われている。
見方を変えれば、なんと恵まれていることかである。
私自身で言えば、この研修を通して、
一歩一歩教員として階段を上った気がする。
特に、校内で実施する研修、つまり校内研修は、
私の教師としての資質向上にはなくてはならないものだった。
この研修が、私をひとり立ちさせてくれたと言っていい。
私の教員生活で、特筆できる校内研修を記すなら・・・。
30歳代前半は、体育指導である。
研究テーマは、『体力つくりの日常化』であったろうか。
当時も今日同様、子どもの体力低下か問題視されていた。
各小学校で、その対応策として業間体育が注目されていた。
中休みや昼休みに、どのようにして目標をもたせ、
体力つくりに取り組ませるか。
その指導の工夫を、同僚や後輩の教員たちと夢中になって考えた。
毎日が試行錯誤だった。充実感があった。
そして、その指導の成果を、研究発表会で披露した。
その発表会で、3年間ご指導を頂いた
体育指導を専門とする講師のI先生から、
「それでも私は、45分間の体育授業の充実が、
体力つくりには一番大切だと思っている。」
との講評があった。
この時、校内研修の中心にいた私は、その言葉に意気消沈した。
しかし、行き着く先は、やはり『授業の充実』なんだと、意を強くした。
その後の、大きな財産になった。
40代前後には、都心の学校に勤務した。
都心では、当時も、中学進学は私立校が主流で、
受験競争が過熱していた。
そんな周りの学校の様相とは異なり、
私が3年目をむかえた年に着任したK校長先生は、真っ先に
「学力・学力の一辺倒ではなく、
個を大切にした教育を大事にしたい。」と言った。
新鮮な風を感じ、私を含め職員は意気込んだ。
その年度から、一人一人の子どものよさを
引き出し・伸ばす指導の工夫を校内研究の課題とした。
研究テーマに『その子らしさの実現』という言葉を加えた。
校内研修がにわかに活気づいた。
「個性の伸長とは」「子どものよさとは」
「よさを引き出すとは」「どんな指導がそれにつながるのか」等々、
いつも、いつまでも議論はつきなかった。
振り替え休業日を利用して、多くの先生達と
他県で同様のテーマで研究している学校に押しかけたりもした。
回を重ねた校内の研究授業で、
いつもご指導を頂いていた都教委のH指導主事先生から、
「子どもが実感できる授業の魅力とは何か。」のアドバイスがあった。
授業は、教師の視線ではなく、子どもの視線でつくるもの、
そして実践するものと気づくことができた。
私が、一皮むけた教師に脱皮できた瞬間だったと思う。
管理職になってからは、国際理解教育の実践を通して、
多文化共生社会に応じたグローバルな教育の重要性や、
私には耳慣れなかった『自尊感情』の育成と言った
研究課題と向きあった。
そんな校内研修を通して、貴重なご意見を頂戴できる方々に出会えた。
『金持ち』にはなれないが、『人持ち』にはなれるかもと思った。
私は、都内9小学校に勤務した。
その全ての学校で、活気ある校内研修が行われていた訳ではない。
中には、貴重な研修の機会を軽視する主張が支配的な学校もあった。
その多くの声は、
「それでなくても忙しいのに、
校内研修など、さらに忙しさを増やすことになるだけ。」
と、言うものだった。
残念であったが、そんな声を一気に逆転させることが
できないままに過ごした学校もあった。
いかに、学校では「忙しい。」が、
有効性のある決め言葉であるかが分かるだろう。
しかし、そうした学校は、総じて校内研修に限らず、
全ての教育活動に覇気がなかった。
そして、子どもをはじめとして、様々なことで難しい課題が噴出していた。
振り返ってみると、改めて校内研修の重要性に気づかされる。
さて、この校内研修であるが、それが果たす役割は次の二つである。
一つ目は、その学校の教育目標やその学校独自の課題・願いの
具現化(解決・達成)のためのものである。
目標達成や課題解決・願いの実現には、教員一人一人の明確な自覚と
全職員のそれへの共通した意識が必要である。
あわせて、そのための具体的な指導の手立てや働きかけ等、
足並みのそろった実践と工夫が求められる。
それらを追求し、共有化を図る役割が校内研修にはある。
二つ目は、教員研修の目的である、
教師としての資質能力の向上のためのものである。
目標の具現化等を目指した全職員による共有化された取り組みのためには、
教員個々人の指導力が問われることになる。
学校における協働した指導のために、教員には
自身の指導技術や手法等が的確なものであるか否か、
そして求められる資質能力がどのようなものか等を
確かめ、それに応じる必要性が生じる。
言うまでもないことであるが、
校内研修でくり返される、研究授業の大きな役割はそのためにある。
最後に、校内研修の特徴を簡潔に整理する。
① 自分の学校の目標・課題・願いを
具体的な研究課題として共有できる。
② 日常の教育実践と研究課題への取り組みが直結し、
学校全体でその解決に迫ることができる。
③ 研修の成果を直接子どもの指導に
反映させることができるので、生きて働く研修になる。
④ 共通の目標達成に向けての取り組みなので、
教員間の協働意識に高まりが生まれる。
⑤ 研修の時間や場に限らず、
学校、地域、子どもの実態等に共通性が得られる。
秋蒔き小麦が、間もなく収穫の時?
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