伊達には、写実画家として高名な野田弘志先生のアトリエがある。
先生の発案で、国内外を代表する芸術家や文化人を招き、
質の高い芸術・文化に触れ、教養を高めることを目指した
市民グループによる組織がある。
聞き慣れないのだが、『コレージュ・ド・ダテ』と言う。
「コレージュ・ド・フランス」は、フランスの最高学府を意味しており、
どうやらそこからの命名のようである。
そのグループが先日、第11回公開講座として
『短歌に描くしぐさ 表情』と題して、
歌人・今野寿美氏を招いて講演会を行った。
演題にある『短歌』と『しぐさ』の言葉に惹かれ、参加した。
サロンのような会場には、30名前後の方が集まっていた。
今野先生は、わざわざレジメを準備してくださっていた。
「こんなに沢山の方においで頂き」と、恐縮していたが、
それを聞いて赤面したのは、私だけではなかったと思う。
レジメには、和泉式部、与謝野晶子、柳原白蓮、安永蕗子、
寺山修司、小野茂樹そして本人の歌が紹介されていた。
いずれも、短歌に織り込まれた「しぐさ」が、
私の心を強く揺り動かした。
3首、紹介する。
泡だてて白き卵を嚥むときも卓に聖女のごときひだり掌 安永蕗子
今野先生の解説にもあったが、『卓に聖女のごときひだり掌』とは、
なんて清楚で詩的なしぐさだろう。心に潤いを取り戻した。
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり 寺山修司
「海ってこんなに広いんだよ。」と、両手を広げる少年。
映画のワンカットが、背景を伴って目に浮かんだ。
清々しさを運んできてくれた。
あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ 小野茂樹
今野先生は『表情をせよ』の解釈に疑問を投げていたが、
いずれにしても、あの夏のワクワク感が堪らない。
まだそんな憧れが私にもと思い起こした。
講演が終わり、高台の駐車場に向かった。
ちょうど、噴火湾の方向が、広々と夕焼けに染まっていた。
どこで学んだのだろうか、
歌は(目で)「読む」ものではなくて、
(声に出して)「詠む」ものだと気づいた。
車内に入り、レジメを取り出した。
一人、声を出して、一首一首を口で追った。
31音にとじ込められた、短文詩の力に
私は圧倒された。
朱色の空からきれいな交響曲が流れてきてほしかった。
急に、初めての短歌に心ざわめいた、13歳の私を思い出した。
あの頃、家族6人で6畳2間の長屋に暮らしていた。
3人の兄姉は成人し、私は中1だった。
手狭になった家を何とかしようと、
2つあった押し入れの1つに、
大工さんを入れ、2段ベットに改造した。
私は、その下のベットの住人になった。
カーテンで遮ると一人占めの空間ができた。
電気スタンドと小さなテーブルを入れた。
そこで勉強もすることになった。
思いもよらない環境に、私は喜んだ。
自然と「よしっ!」と声が出て、意気込んだ。
どんな思いつきがそうさせたのか、
あまりにも遠いことなので思い出せないが、
貯めていた小遣いを持って、近所の本屋に行った。
図書館で借りた本など、
一度も最後まで読んだことのない私だった。
なのに、2段ベットの下でカーテンを閉じ、
本を読んでみたかったのだろう。
本屋で手にとり、買い求めたのが、
書名は忘れたが、石川啄木の短歌集の文庫だった。
1ページにある文字数が少なかったのが、
その本に決めた動機だったと思う。
私はプラン通り、その本を手に、
まだ木の匂いがするベットの下段にもぐり込み、電気スタンドをつけた。
最初に、目に飛び込んできた短歌が、
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
であった。
いい知れない孤独感が、私の全てを包んだ。
13歳の少年だったが、共感していた。
『泣きぬれ』・『たはむる』の言葉が、心の奥まで浸みた。
何度も何度も読み返した。
1首の短歌だったが、読むごとに瑞々しさを感じた。
情景が浮かんできた。勝手にドラマが想像できた。
初めての体験だった。
その後は、それこそ宝箱を開くようなワクワクした気持ちで、
1ページ1ページをめくった。
すでにいくつかのまんが雑誌もあった。身近に子ども向けの本もあった。
毎日、テレビドラマも流れていた。時には映画館にも足を運んでいた。
しかし、この啄木の短歌集から受けた高揚感は、初めてだった。
2段ベットの下に閉じこもり、出てこない私に
「なにしてるの。」と、何度も母の声が飛んできた。
そのたびに、現実の世界に呼び戻された。
それでも、私は再びページをめくり、啄木に夢中になった。
文学と言っていいのだろう。
私がその素晴らしさを知った最初の日だった。
あの日、私を惹きつけて放さなかった啄木の短歌は、今も心にある。
浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心
はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る
ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入り来し
味噌を煮る香よ
ふるさとの山に向ひて
言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな
潮かをる北の浜辺の
砂山にかの浜薔薇(はまなす)よ
今年も咲けるや
アカシヤの街樾(なみき)にポプラに
秋の風
吹くがかなしと日記に残れり
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
しらじらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
ゆゑもなく海が見たくて
海に来ぬ
こころ傷みてたへがたき日に
昨年4月他界した、人気作家・渡辺淳一氏は、
啄木好きの理由として、
『真先にあげたいのは、啄木の歌のわかり易さである。』と言う。
そして彼は、
『目星しい歌は、みな三行に分けて記されている。
短歌を見て、初めに混乱するのは、五・七・五の区切りどころである。
これを平仮名などでだらだら続けられては往生する。
この点、啄木の歌は簡明で要をえている。』とも。
だから、13歳の私でも理解が容易だったのだろう。
そして、渡辺氏はこうも綴っている。
『あれ程、日常些事のことを苦もなく詠み、
酩酊感とともにリアリティをもたせ、
そっと人の世の重みを垣間見せるとは、どういう才能なのか。
………そしてさらに、死ぬまで視点を低く保ち続けたところが心憎い。』
13歳、多感な少年時代の入り口で、
啄木の短歌集に出会えたこと、
それはずっと私の財産だった。今も変わりない。
オニグルミの実が もうこんなに大きく
先生の発案で、国内外を代表する芸術家や文化人を招き、
質の高い芸術・文化に触れ、教養を高めることを目指した
市民グループによる組織がある。
聞き慣れないのだが、『コレージュ・ド・ダテ』と言う。
「コレージュ・ド・フランス」は、フランスの最高学府を意味しており、
どうやらそこからの命名のようである。
そのグループが先日、第11回公開講座として
『短歌に描くしぐさ 表情』と題して、
歌人・今野寿美氏を招いて講演会を行った。
演題にある『短歌』と『しぐさ』の言葉に惹かれ、参加した。
サロンのような会場には、30名前後の方が集まっていた。
今野先生は、わざわざレジメを準備してくださっていた。
「こんなに沢山の方においで頂き」と、恐縮していたが、
それを聞いて赤面したのは、私だけではなかったと思う。
レジメには、和泉式部、与謝野晶子、柳原白蓮、安永蕗子、
寺山修司、小野茂樹そして本人の歌が紹介されていた。
いずれも、短歌に織り込まれた「しぐさ」が、
私の心を強く揺り動かした。
3首、紹介する。
泡だてて白き卵を嚥むときも卓に聖女のごときひだり掌 安永蕗子
今野先生の解説にもあったが、『卓に聖女のごときひだり掌』とは、
なんて清楚で詩的なしぐさだろう。心に潤いを取り戻した。
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり 寺山修司
「海ってこんなに広いんだよ。」と、両手を広げる少年。
映画のワンカットが、背景を伴って目に浮かんだ。
清々しさを運んできてくれた。
あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ 小野茂樹
今野先生は『表情をせよ』の解釈に疑問を投げていたが、
いずれにしても、あの夏のワクワク感が堪らない。
まだそんな憧れが私にもと思い起こした。
講演が終わり、高台の駐車場に向かった。
ちょうど、噴火湾の方向が、広々と夕焼けに染まっていた。
どこで学んだのだろうか、
歌は(目で)「読む」ものではなくて、
(声に出して)「詠む」ものだと気づいた。
車内に入り、レジメを取り出した。
一人、声を出して、一首一首を口で追った。
31音にとじ込められた、短文詩の力に
私は圧倒された。
朱色の空からきれいな交響曲が流れてきてほしかった。
急に、初めての短歌に心ざわめいた、13歳の私を思い出した。
あの頃、家族6人で6畳2間の長屋に暮らしていた。
3人の兄姉は成人し、私は中1だった。
手狭になった家を何とかしようと、
2つあった押し入れの1つに、
大工さんを入れ、2段ベットに改造した。
私は、その下のベットの住人になった。
カーテンで遮ると一人占めの空間ができた。
電気スタンドと小さなテーブルを入れた。
そこで勉強もすることになった。
思いもよらない環境に、私は喜んだ。
自然と「よしっ!」と声が出て、意気込んだ。
どんな思いつきがそうさせたのか、
あまりにも遠いことなので思い出せないが、
貯めていた小遣いを持って、近所の本屋に行った。
図書館で借りた本など、
一度も最後まで読んだことのない私だった。
なのに、2段ベットの下でカーテンを閉じ、
本を読んでみたかったのだろう。
本屋で手にとり、買い求めたのが、
書名は忘れたが、石川啄木の短歌集の文庫だった。
1ページにある文字数が少なかったのが、
その本に決めた動機だったと思う。
私はプラン通り、その本を手に、
まだ木の匂いがするベットの下段にもぐり込み、電気スタンドをつけた。
最初に、目に飛び込んできた短歌が、
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
であった。
いい知れない孤独感が、私の全てを包んだ。
13歳の少年だったが、共感していた。
『泣きぬれ』・『たはむる』の言葉が、心の奥まで浸みた。
何度も何度も読み返した。
1首の短歌だったが、読むごとに瑞々しさを感じた。
情景が浮かんできた。勝手にドラマが想像できた。
初めての体験だった。
その後は、それこそ宝箱を開くようなワクワクした気持ちで、
1ページ1ページをめくった。
すでにいくつかのまんが雑誌もあった。身近に子ども向けの本もあった。
毎日、テレビドラマも流れていた。時には映画館にも足を運んでいた。
しかし、この啄木の短歌集から受けた高揚感は、初めてだった。
2段ベットの下に閉じこもり、出てこない私に
「なにしてるの。」と、何度も母の声が飛んできた。
そのたびに、現実の世界に呼び戻された。
それでも、私は再びページをめくり、啄木に夢中になった。
文学と言っていいのだろう。
私がその素晴らしさを知った最初の日だった。
あの日、私を惹きつけて放さなかった啄木の短歌は、今も心にある。
浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心
はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る
ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入り来し
味噌を煮る香よ
ふるさとの山に向ひて
言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな
潮かをる北の浜辺の
砂山にかの浜薔薇(はまなす)よ
今年も咲けるや
アカシヤの街樾(なみき)にポプラに
秋の風
吹くがかなしと日記に残れり
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
しらじらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
ゆゑもなく海が見たくて
海に来ぬ
こころ傷みてたへがたき日に
昨年4月他界した、人気作家・渡辺淳一氏は、
啄木好きの理由として、
『真先にあげたいのは、啄木の歌のわかり易さである。』と言う。
そして彼は、
『目星しい歌は、みな三行に分けて記されている。
短歌を見て、初めに混乱するのは、五・七・五の区切りどころである。
これを平仮名などでだらだら続けられては往生する。
この点、啄木の歌は簡明で要をえている。』とも。
だから、13歳の私でも理解が容易だったのだろう。
そして、渡辺氏はこうも綴っている。
『あれ程、日常些事のことを苦もなく詠み、
酩酊感とともにリアリティをもたせ、
そっと人の世の重みを垣間見せるとは、どういう才能なのか。
………そしてさらに、死ぬまで視点を低く保ち続けたところが心憎い。』
13歳、多感な少年時代の入り口で、
啄木の短歌集に出会えたこと、
それはずっと私の財産だった。今も変わりない。
オニグルミの実が もうこんなに大きく
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