ひらののオモロイはなし 2 ~『首地蔵』・全興寺

首地蔵(全興寺蔵)
元和元年(1615年)、大坂夏の陣のことじゃ。
道明寺の戦で敗れた豊臣方の真田幸村は徳川家康に追われ、大坂へ退却する途中、平野に差し掛かったんじゃ。
「家康は自分らを追って、大和道(奈良街道)からの平野の入リ口、樋尻口にやってくるに違いない。」
そう読んだ知将・幸村は樋尻口の地蔵堂の下に地雷を埋め、かまどの火を焚けば爆発するよう、仕掛けておいた。
そうしたら、予想通り、家康は樋尻口にやってきて、地蔵堂のかまどを焚いたんじゃ。
今まさに、地雷に火がつこうとした瞬間、家康は小便をもよおして外へ出てしもうた。
「どおっかああ~んんんんん!!!」と大音響をたてて、地雷は爆発し、地蔵堂は吹っ飛んだが、家康は九死に一生を得たんじゃ。
そのときの爆発でなあ、地蔵さんの首が、全興寺まで吹き飛ばされたそうな。
じゃから、今でも、全興寺には、そのときの「首地蔵」が祀られておるんやでぇ。

「どおっかああ~んんんんん!!!」“地球おはなし村”主催の平野ウオークイベントにて。(樋尻口地蔵堂前で)

聖徳太子が建立した薬師堂が全興寺の草創とされ、その薬師堂から平野の町が形づくられていったと云われている。



ムクドリがやってきて、柿をついばむ。
ロウバイや山茶花が咲いて、ここが大阪市内だなんて忘れてしまうほど、こころ和む一角である。

全興寺さんの地獄堂。
閻魔様の前では思わず、頭を垂れてしまう。
(悪いことはできません。ご同輩!)

悔い改めたあとは、地下の「ほとけのくに」でステンドグラスの曼荼羅に座って、瞑想しよう。
まるで、ジブリの世界。
ペット供養の「わんにゃん堂」。

境内のおもろい路地「おも路地」で日曜日に催される「あそび縁日」は地域の子供たちの遊び場。
バイゴマや紙芝居などがあって、子どもたちも楽しそう。

「ひらののオモロイはなし」は48ページもあって、200円。
全興寺で買えるんやでぇ。


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首地蔵(全興寺蔵)
元和元年(1615年)、大坂夏の陣のことじゃ。
道明寺の戦で敗れた豊臣方の真田幸村は徳川家康に追われ、大坂へ退却する途中、平野に差し掛かったんじゃ。
「家康は自分らを追って、大和道(奈良街道)からの平野の入リ口、樋尻口にやってくるに違いない。」
そう読んだ知将・幸村は樋尻口の地蔵堂の下に地雷を埋め、かまどの火を焚けば爆発するよう、仕掛けておいた。
そうしたら、予想通り、家康は樋尻口にやってきて、地蔵堂のかまどを焚いたんじゃ。
今まさに、地雷に火がつこうとした瞬間、家康は小便をもよおして外へ出てしもうた。
「どおっかああ~んんんんん!!!」と大音響をたてて、地雷は爆発し、地蔵堂は吹っ飛んだが、家康は九死に一生を得たんじゃ。
そのときの爆発でなあ、地蔵さんの首が、全興寺まで吹き飛ばされたそうな。
じゃから、今でも、全興寺には、そのときの「首地蔵」が祀られておるんやでぇ。

「どおっかああ~んんんんん!!!」“地球おはなし村”主催の平野ウオークイベントにて。(樋尻口地蔵堂前で)

聖徳太子が建立した薬師堂が全興寺の草創とされ、その薬師堂から平野の町が形づくられていったと云われている。



ムクドリがやってきて、柿をついばむ。
ロウバイや山茶花が咲いて、ここが大阪市内だなんて忘れてしまうほど、こころ和む一角である。

全興寺さんの地獄堂。
閻魔様の前では思わず、頭を垂れてしまう。
(悪いことはできません。ご同輩!)

悔い改めたあとは、地下の「ほとけのくに」でステンドグラスの曼荼羅に座って、瞑想しよう。

まるで、ジブリの世界。
ペット供養の「わんにゃん堂」。

境内のおもろい路地「おも路地」で日曜日に催される「あそび縁日」は地域の子供たちの遊び場。
バイゴマや紙芝居などがあって、子どもたちも楽しそう。

「ひらののオモロイはなし」は48ページもあって、200円。
全興寺で買えるんやでぇ。






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