祇園祭・後祭 4 ~ちまき売りのわらべ歌
山鉾のひとつ、黒主山に差し掛かると、粽(ちまき)売りの少女たちが愛嬌を振りまきながら、粽を売っていた。
「写真撮るなら、こおてって!」♪と歌に乗せられ、粽を買う羽目に・・・。
動画1
動画2
この粽は、祇園祭の間だけ、八坂神社や各山鉾町のお会所で販売される、笹の葉で作られた疫病・災難除けのお守りである。
厄除け粽は巻かれた笹の葉をイグサで縛り、束にしたもので、短冊状の札が付いていて、「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいしそんなり」という文字が書かれている。
それには、こんな伝説がある。
昔々、牛頭天皇(ごずてんのう)という神様が花嫁捜しの旅をしていたころ、一夜の宿を探していると、金持ちの巨旦将来(こたんしょうらい)の家にたどり着きました。牛頭天皇は泊めて欲しいと頼むと巨旦は貧しい身なりの牛頭天皇を見て、「見知らぬ旅人を泊めるわけにはいかない」と言って追い返してしまいました。
当てもなく歩いていると、今度は巨旦将来の弟である蘇民将来の家にたどり着きました。
牛頭天王は一夜の宿を蘇民に頼んでみると、貧しいながらも心優しい蘇民は「何もお構いできませんが、ゆっくり休んでいってください」と牛頭天皇を手厚くもてなしたのです。
蘇民の心遣いに大変喜んだ牛頭天王は、そのお礼に「今後、お前の子孫は末代まで私が守ってやろう。目印に、腰に茅の輪をつけておきなさい」と言い残して、去って行きました。
その言葉を代々守り続けた蘇民将来の子孫たちは、疫病が流行った時も生き残り、末代まで繁栄したのでした。
護符の茅の輪は“茅”を束ねて巻いったもので、その「茅を巻く」ということから「茅巻(ちまき)」と呼ばれるようになったのです。
そして、それが音が同じの「粽(ちまき)」に変わっていき、束ねた粽が厄除けのお守りになったのです。
厄除け粽に付いている「蘇民将来子孫也」の札は「私は蘇民将来の子孫ですので、どうか病気や災いから護ってください」という意味が込められた護符なのです。
厄除け粽は当然ながら、「食」することができない。
私、実は食べられると思って、買ったのでした・・・。
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「写真撮るなら、こおてって!」♪と歌に乗せられ、粽を買う羽目に・・・。
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この粽は、祇園祭の間だけ、八坂神社や各山鉾町のお会所で販売される、笹の葉で作られた疫病・災難除けのお守りである。
厄除け粽は巻かれた笹の葉をイグサで縛り、束にしたもので、短冊状の札が付いていて、「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいしそんなり」という文字が書かれている。
それには、こんな伝説がある。
昔々、牛頭天皇(ごずてんのう)という神様が花嫁捜しの旅をしていたころ、一夜の宿を探していると、金持ちの巨旦将来(こたんしょうらい)の家にたどり着きました。牛頭天皇は泊めて欲しいと頼むと巨旦は貧しい身なりの牛頭天皇を見て、「見知らぬ旅人を泊めるわけにはいかない」と言って追い返してしまいました。
当てもなく歩いていると、今度は巨旦将来の弟である蘇民将来の家にたどり着きました。
牛頭天王は一夜の宿を蘇民に頼んでみると、貧しいながらも心優しい蘇民は「何もお構いできませんが、ゆっくり休んでいってください」と牛頭天皇を手厚くもてなしたのです。
蘇民の心遣いに大変喜んだ牛頭天王は、そのお礼に「今後、お前の子孫は末代まで私が守ってやろう。目印に、腰に茅の輪をつけておきなさい」と言い残して、去って行きました。
その言葉を代々守り続けた蘇民将来の子孫たちは、疫病が流行った時も生き残り、末代まで繁栄したのでした。
護符の茅の輪は“茅”を束ねて巻いったもので、その「茅を巻く」ということから「茅巻(ちまき)」と呼ばれるようになったのです。
そして、それが音が同じの「粽(ちまき)」に変わっていき、束ねた粽が厄除けのお守りになったのです。
厄除け粽に付いている「蘇民将来子孫也」の札は「私は蘇民将来の子孫ですので、どうか病気や災いから護ってください」という意味が込められた護符なのです。
厄除け粽は当然ながら、「食」することができない。
私、実は食べられると思って、買ったのでした・・・。
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