『珠華のひと』
黄昏時、二上山が哀しげな山に変わるのは、古代史、悲劇のヒーロー“大津皇子”が葬られているからだと云われている。
飛鳥稲渕、仏隆寺、葛城古道の彼岸花を巡りながら、「珠華のひと」に想いを馳せる。
珠華のひと
葛城麓から風の森
いにしえの夢伝う影の細道
夕日沈む二上(ふたかみ)、向かいて
白き馬の皇子が駆けてゆく
珠華が咲き誇る、来る世で
再び逢わんと契り結びし
君は振り返ることもなく
黄昏の朱に染まって消えた
泡沫の世、儚くとも
砂塵を越えて果てしなく続く道
私は何者と風に問わば
すべて、空なりと答ふだけ
(By azukinieta)
古代においては金剛山、葛城山、二上山と続く山並を“葛城”と称した。
二上山麓、当麻寺から風の森峠に到るまでを“葛城古道”と呼び、東の三輪山から石上神宮に到る“山の辺の道”と対比される。
奈良がかつて王国の首都だった頃、大和盆地の民は朝日昇る三輪山と夕日沈む二上山を毎日、仰いだことであろう。
“山の辺の道”が光の細道なら、さながら、“葛城古道”は影の細道と云えるかもしれない。
実際、昼間はユーモラスな山容をした二上山だが、黄昏時、夕日がこのふたつの頂、雄岳と雌岳の中間、鞍部に沈む瞬間は何とも悲しげな山に変わる。
それは古代史、悲劇のヒーローといわれる“大津の皇子”の墓が山頂にあるからだろうか。
私は単一の生命体ではなかった。
古代から脈ヶと受け継がれてきた“サイクル生命体”であった。
二上山と対坐していると、それがわかる。