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ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

『珠華のひと』

2020-09-18 | 花めぐり~9・10月

『珠華のひと』


黄昏時、二上山が哀しげな山に変わるのは、古代史、悲劇のヒーロー“大津皇子”が葬られているからだと云われている。
飛鳥稲渕、仏隆寺、葛城古道の彼岸花を巡りながら、「珠華のひと」に想いを馳せる。


珠華のひと

葛城麓から風の森 
いにしえの夢伝う影の細道
夕日沈む二上(ふたかみ)、向かいて 
白き馬の皇子が駆けてゆく

珠華が咲き誇る、来る世で
再び逢わんと契り結びし    
君は振り返ることもなく 
黄昏の朱に染まって消えた    

泡沫の世、儚くとも 
砂塵を越えて果てしなく続く道
私は何者と風に問わば 
すべて、空なりと答ふだけ

(By azukinieta)










 古代においては金剛山、葛城山、二上山と続く山並を“葛城”と称した。
 二上山麓、当麻寺から風の森峠に到るまでを“葛城古道”と呼び、東の三輪山から石上神宮に到る“山の辺の道”と対比される。
 奈良がかつて王国の首都だった頃、大和盆地の民は朝日昇る三輪山と夕日沈む二上山を毎日、仰いだことであろう。
 “山の辺の道”が光の細道なら、さながら、“葛城古道”は影の細道と云えるかもしれない。
 実際、昼間はユーモラスな山容をした二上山だが、黄昏時、夕日がこのふたつの頂、雄岳と雌岳の中間、鞍部に沈む瞬間は何とも悲しげな山に変わる。
 それは古代史、悲劇のヒーローといわれる“大津の皇子”の墓が山頂にあるからだろうか。
 私は単一の生命体ではなかった。
 古代から脈ヶと受け継がれてきた“サイクル生命体”であった。
 二上山と対坐していると、それがわかる。