ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

舞鶴引揚記念館 ~シベリア抑留と平和への祈念

2024-01-06 | 京都の旅

舞鶴引揚記念館 ~シベリア抑留と平和への祈念

 

 昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結し、旧満州(現・中国東北)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残された。

 これらの方々を速やかに日本へ帰国させなければならなくなり、“引き揚げ”が開始された。

 全国に18港の引揚港を設置、舞鶴もそのひとつとなり、主に旧満州や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れることになった。

 舞鶴では昭和20年(1945年)から昭和33年まで13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れている。

 

 

 終戦間際に突然、宣戦布告したソ連は占領した満洲、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島などの地域の日本人の捕虜(民間人含む)をシベリアに連行し、強制労働に従事させた。

 これを「シベリア抑留」といい、終戦後も長い間、帰国させなかった。

 極度の食料不足と粗末な防寒、劣悪な衛生状態の中、マイナス30~40℃ともいわれる酷寒の地シベリアでの抑留生活とハードな強制労働は筆舌に尽くしがたいほど酷かったという。

 人道上、あってはならないことがあったことを忘れてはならない。

   当時、約57万5千人のシベリア抑留者がいて、うち約5万5千人が亡くなったといわれている。(数には諸説あり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シベリア抑留者収容所はユーラシア大陸を跨っていた。

 

 

 

 その最西端は今のウクライナのオデッサだった。

 ガイド氏は「ウクライナは過酷なシベリアと比べると気候的にも待遇的にも全然違っていた。小麦を収穫したあと、皆でフォークダンスを踊った。引揚者は彼の地をまた再訪したいと語っていた。」と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 舞鶴引揚記念館の収蔵資料は、ユネスコ世界記憶遺産として登録されている。

 今も砲火轟く彼の地に「平和への祈念」を発信し続けている。

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