プロレスラー墓名碑2022 ~アントニオ猪木 ③
<猪木をめぐる好敵手>
好敵手とは力の拮抗した対戦相手、ライバルという意味であるが、プロレス界では、この言葉だけでは言い表せられない要素がある。
いくら、力が拮抗していようと試合が嚙み合わなければ、名勝負は生まれないからだ。
猪木は「スウイングする。」と表現していた。
ジャズ音楽のウキウキするようなテンポのことだが、要するにお互いがノッテいる試合ができるということだろう。
そのためにはお互いの力量を認めながら、尚且つ、波長が合わなければならない。
ある意味、恋人と形容してもいいかもしれない。
私感ではあるが、猪木の最初の好敵手は東京プロレス時代のジョニー・バレンタインだったろう。
日本プロレス時代ではドリー・ファンク・ジュニアではなかったか。
そして、新日本プロレスになってからは、タイガー・ジェット・シンだと思っている。
そのころは、私も子どもだったから、シンほど悪い奴はいないと思って、彼を心底、憎んでいた。
新宿でショッピング中の猪木・倍賞美津子夫妻を襲って、パトカーが出動するという事件まで起こしている。
観客にも容赦なく襲ってくるシンは本当に狂っているのだと思っていた。
そのころの新日本はTV局は付いているものの、招聘できる外人レスラーは殆どが二線級で興行的に客を呼べるレスラーはいなかった。
有名どころは全日本にほぼ独占されていたからだ。
新日本は自らの手で客を呼べるスター・レスラーを作らねばならなかったのだ。
シンにしても、二線級から這い上がろうと必死だったにちがいない。
ヒール・レスラーのTOPになるべく、彼は徹底して、自らをヒールに変えていった
それは記者の目が届くプライベートにおいても、同様だったろう。
猪木と新日本にとっても、シンがTOPヒールになることが自身と会社の盛衰のカギを握っていたのだ。
シンがサーベルを振り回して猪木を襲うのを見て、「何と悪逆非道な!」と思っていたが、シンにサーベルを持たすことを思いついたのは実は猪木本人だったという説がある。
こんなところにも、プロデユーサー猪木の片鱗を垣間見る。
今から思うと新宿事件は広告宣伝費のかからないパブリシティだった。
しかし、彼等の試合は「ショーだ!」などと嘲る人の言葉を宇宙に吹っ飛ばすくらいの命掛けの闘いだったのは間違いない。
「本当に相手を殺すつもりだ」と感じるくらい、彼等は人生を掛けていた。
リングを降りたシンは慈善活動家としても有名でカナダ政府に表彰されたり、東日本大震災で被災した児童への募金活動に取り組んだことでも知られている。
相対的にだが、ヒール・レスラーの本性は善人であることが多いようだ。
猪木は常々、「風車の理論」を唱えていた。
力が拮抗していなくても、風を受けるように相手の技を受けて受けて受けまくって、相手の良さを最大限に引き出した、その上で更に上の力で相手を制すというもの。
人の長所や良さを引き出すことに長けているとは、人間のスケールの大きさによるのだろうか。
そんなふうに名勝負を作れたのも、猪木の特性だった。
先ごろ、猪木の後を追うように亡くなったジョニー・パワーズも、その一人だった。
ストロング小林、大木金太郎、マサ斎藤らもそうだった。
当初はそんな試合をしていたが、猪木と闘ううちに、やがて、好敵手へと育っていったのは、スタン・ハンセンやハルク・ホーガン、藤波辰爾、長州力らだったろう。
そして、猪木は最大の敵と相対していく。
最大の敵とは「一般社会」、所謂、世間である。
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