ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

ドラえもんのふるさと・高岡逍遥 ~富山・潮風ロード ⑦

2024-10-16 | 富山の旅

ドラえもんのふるさと・高岡逍遥 ~富山・潮風ロード ⑦

 

 富山県高岡市は「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄先生の出身地で20歳で上京するまで過ごした。

 藤子・F・不二雄    1933年昭和8年〉- 1996年平成8年〉  本名 藤本 弘

  パートナーとなる安孫子素雄(後の藤子不二雄Ⓐ)とは小学校の頃に出会う。デビュー当初から「藤本作」「安孫子作」「合作」の3種のマンガを描き、すべてを藤子不二雄という共通のペンネームで発表していたが、1987年12月に独立を発表し、藤子・F・不二雄に改名した。。

 藤子・F・不二雄としての 代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』、『パーマン』(旧作は合作)、『キテレツ大百科』等がある。                                                  ( pixiv.netより抜粋)

 

 高岡には営業マン時代、うん十年前の大和百貨店訪問、以来となった。

 駅前では今や世界中で愛されている「ドラえもん」のキャラクターたちに迎えられる。

 路面電車にも「ドラえもんトラム」が運行され、町の顔としては、すっかり、大仏さんを凌いだかにさえみえる。

 

 

  

 高岡城跡には加賀藩で、ほぼ四半世紀を過ごしたキリシタン大名・高山右近の像があった。

 

 「トキハ荘」時代を経て、移り住んだ川崎市には「藤子・F・不二雄ミュージアム」があるが、出身地のここ、高岡市にも「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」が高岡市美術館のなかに併設されている。

 

 「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」では藤本氏がこども時代、「漫画家になりたい」という夢を育んでいたころの高岡での足跡を辿ったり、たくさんの原画を通して彼の「まんが」の原点に触れることができる。

  

  

 美術館内部                       真ん中の半円はどらえもんの頭。

 

    「どこでもドア」がエントランス。

 

 

 

 

 ドラえもんとのび太の出会いシーン。

 セワシは未来からやってきた、のび太の孫の孫。

 セワシ曰く、何をしてもダメな、のび太は社会に出た後も沢山の不運に見舞われ、自分でつくった会社の倒産が原因で残った莫大な借金によって子孫を困らせているという。

 そんな悲惨な未来を変えるために、ドラえもんを子守用猫型ロボットとしてのび太のもとへ連れてきたのだった

 ドラえもんとのび太。このダブル主役こそ、彼のまんがの特徴。

 のび太のモデルは作者自身というが、実は読者自身でもある。

   

   

 

 野比のび太の同級生、ジャイアン(剛田武)スネ夫(骨川スネ夫)シズカ(源静香)を交えた交流は誰もが子ども時代を思い起こさせる。

 そして、空き地の原っぱには、いつも土管が置かれていた。

 

 パーマンやウメボシ殿下も彼の作品(藤本メインの合作)

 

 のび太はドラえもんがポケットから出す多種多様な道具を使って身にふりかかった災難を一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける。

 また、のび太の軟弱な性格故、自ら努力せず、ドラえもんにすぐに依存してしまうことも多い。

 ドラえもんの最終話は掲載されていた様々な誌によって、幾つかのストーリーがあるようだが、基本的にはのび太の自立を促すように、ドラえもんが未来に帰るというものが多いようだ。

 が、実はまだ未完というのが定説。

 この記事案を練っているとき、アニメ版でドラえもんの吹き替えを永くされていた、声優・大山のぶ代さんが逝去されたというニュースが飛び込んできた。

 これも何かのご縁。謹んでご冥福をお祈りします。

 机の引き出しにはタイムマシンの入り口があるという。

 私も職場と家の机の引き出しを整理しようと一大決意をした。

 でも、大丈夫かな~。のび太に似てるからなあ。

 「りっぱすぎる決心は、きっと三日坊主になるからな」(ドラえもん)



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