ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

巨刹・禅寺・北鎌倉の建長寺 ~鎌倉 Story    ④

2023-12-13 | 関東の旅

巨刹・禅寺・北鎌倉の建長寺 ~鎌倉 Story     ④

 

  北鎌倉の巨刹・建長寺は今から約760年前、建長5年(1253)に鎌倉幕府五代執権 北条時頼が建立した日本最初の禅寺である。

  正式名、巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山だ。

  開山(創始者)は時頼が宋から招いた蘭渓道隆 (らんけいどうりゅう)、 後の大覚禅師で中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、一時は千人を超える修行僧を指導した。

 

   北鎌倉駅から徒歩約15分、如何にも大寺らしい建長寺の入り口、天下門が見えてくる。

   隣接する建長寺設立の鎌倉学園高校はサザンの桑田さんの母校ときく。

 

  総門 (巨福門)から三門に進む。

 

 

 

 仏殿には本尊の地蔵菩薩坐像を祀る。かなり巨大で古色蒼然たる仏様である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蘭渓道隆(大覚禅師)お手植えという柏槇(びゃくしん)大樹が760年の歳月を刻む。

 

 国宝の梵鐘。

 

 

 

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源氏山から北鎌倉へ・縁切寺 ~鎌倉 Story ③

2023-12-11 | 関東の旅

源氏山から北鎌倉へ・縁切寺 ~鎌倉 Story ③

 

 源氏山は、奥羽を舞台とする後三年の役(1083~1087年)で八幡太郎義家が出陣するときに、この山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈ったところから「源氏山」とか「旗立山」といわれるようになったといわれている。

 シンボルである源頼朝像が鎮座する。大河ドラマのせいで頼朝が大泉洋に見えてしまう。

 源氏山公園は自然あふれる市民の憩いの場で訪れたとき(12/1) は紅葉が綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

    “源氏山から北鎌倉へ” は結構な山道もあったが、さだまさし(グレープ)の「縁切寺」の歌詞のとおりに北鎌倉へ向かう。

 縁切寺とは東慶寺のことである。

 

 

 

 

 江戸時代に徳川家康が縁切り寺法を制定し、東慶寺は幕府公認の「駆け込み寺」になった。

 東慶寺に駆け込めば、足掛け3年で夫と縁が切れるということになっていた。

 結婚前のカップルが寺を訪れたら、別れるというジンクスの寺ではないようだ。

 さだまさしが知ってか知らずか歌のためかは定かではない。

 「人の縁とは不思議なもの」が一番言いたかったのだろう。

 実は女性はドライで男性の方が女々しいのかもしれない。

  JR北鎌倉駅と周辺風景。

 

 

 

 

 

 

  

 

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鎌倉 Story    ② ~銭洗弁財天

2023-12-10 | 関東の旅

鎌倉 Story   ② ~銭洗弁財天

 

 銭洗弁財天宇賀福神社は、お金を洗うと何倍にも増えて戻ってくるといわれる霊水「銭洗水」が湧く神社。

 災害が続いていた平安時代末期、源頼朝が「佐助の谷に湧き出す水で神仏を供養せよ、そうすれば天下泰平が訪れる」との夢のお告げを受けたので、そのとおりに探すと泉をみつけた。

 そこで社を建てて宇賀福神を祀って天下泰平を祈願すると、世が治まったことから「お金を洗うと何倍にもなる」「商売繁盛」などの伝説に発展、今に受け継がれている。

 銭洗水は境内の洞窟(奥宮)で湧き、ご利益にあずかろうと多くの参拝客が訪れる。

 

 

 鳥居の向こうは洞窟参道。

 

 

 洞窟をくぐると神域の空気に満ちていた。

 

 

 

 境内の奥宮に、また洞窟があり、宇賀神と弁財天が祀られており、銭洗水が湧き出る。

 

 

 

 札束?を洗っている人もいた。

 電子マネーはどうするんだろうとつまらぬことを思う。

 

 

 

   

 濡れたお金は破れそうなので、早速、使った。

 あとで、「金運を呼び込むお金の洗い方」を読むと・・・・

 「洗ったお金をすぐに使ったらダメ。」とあった。

 金運から見放されるという。

    はよ、言ってよおっ!!

 

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鎌倉 Story ① ~プロローグ 「鶴岡八幡宮」

2023-12-09 | 関東の旅

鎌倉 Story ① ~プロローグ 「鶴岡八幡宮」

 

 明日から、いよいよ12月という日、「そうだ鎌倉、行こう。」と突如、思い立ち、仕事が終わったあと、夜行バス車中の人となった。

 

 

 そして、早朝には鎌倉駅東口に降り立っていた。

 開店準備に忙しい小町通りを通り抜けると朱塗りの巨大な鳥居が見えてきた。

 

 鶴岡八幡宮は鎌倉を代表する古社のひとつで、源氏の氏神である京都の石清水八幡宮を源頼義が由比ヶ浜辺に祀ったことが始まりとされる。    

 その後、1180年、源頼朝が鎌倉入りするや由比ガ浜の八幡宮をこの地に移した。

 

 三ノ鳥居の前には元社があった由比ヶ浜まで続くという一直線の参道が伸びていた。

 

    弁財天社を祀った東の池は源氏池。

 

 

   静御前が義経を慕い、心を込めて舞ったという「舞殿」。    

 

 

 

   鮮やかな朱色の御本殿は、代表的な江戸建築で、国の重要文化財に指定されており、鎌倉のシンボルの一つ。

 鎌倉武士の守護神の宗社である。

 掲げられた額の「八」の字は、神聖な神の使いとされている二羽の鳩で表現されている。

    武士の社らしく、「随身門」の入り口両側には、仁王様でなく、随身(=平安時代以降、貴人護衛にあたった武人)が鎮座している。

 

 

 

 

 

  

 

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母に捧げるビートルズ ~レノン忌に寄せて

2023-12-08 | 心の旅

母に捧げるビートルズ ~レノン忌に寄せて

 

    12月8日は43年前にジョン・レノンが凶弾に倒れた日。

    奇しくも日米開戦の日である。

    ワンダースターでは毎年、この日にレノンに纏わる記事を書くことにしている。

 

  ジョンとポールが意気投合したきっかけの一つに、思春期に「母を亡くした」という共通項があったという。

  私事で恐縮だが、私も思春期ではないが今夏に母を亡くしたので、彼等の楽曲の中から母に捧げる曲を拾ってみた。

「Julia」

  タイトルの「ジュリア」とは、ジョンの母親の名前。

  亡き母を想う歌であるのと同時に、歌詞には「Ocean Child」(=洋子) とあるように、当時恋人だったオノ・ヨーコに捧げる歌でもあると言われている。 

「In my life」

  想い出の場所は若き両親に包まれて過ごした、故郷とあの時間。

  ジョンが母を想って創ったという人がいる。

   PlacessとMomentsには様々な想い出が詰まっている。

 でも、想い出に立ち止まってるばかりじゃない。

「Yesterday」

  かの名曲「イエスタデイ」は恋人との別れを歌った歌であると思い込んでいたが、「気づかぬうちに母との突然の死別の悲しみを擦り込んでいた」とポール本人が後年、語っている。

  母を失った喪失感を歌った楽曲だったのだ。

  Why she had to go
   I don't know she wouldn't say

  救急搬送されたときには舌が絡まって、呼吸が乱れていた。

  よくあることなので、すぐに落ち着くものと思っていた。

  はっきりとした原因もわからぬまま、入院の手続きをしていると突然、「看取りです。」と言われて病室に駆け込んだ。

  何が起こったのかと混乱しているうちに母は静かに息を引き取った。

  向こう半年間の介護日程の計画表だけが残されていた。

  親の死は誰もが経験し得る、おそらく人生でもっとも悲しい出来事。

  現実として受け止め、消化して前に立ち向かわねばならない。

  とはいえ、いくら、年月が経っても、時折押し寄せてくる追慕の念、悔恨の念は、少しも褪せることがないのだろう。

  それだからこそ、人は優しくなれる。今はそう信じたい。

 

   

 

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光の道・御堂筋 ~煌めくイルミネーション・ストリート

2023-12-06 | 大阪の旅

光の道・御堂筋 ~煌めくイルミネーション・ストリート

 

 大阪のシンボルストリートである御堂筋がイルミネーションの優しい光で包み込まれた。

 

 フェスティバルホールで「呪能」を鑑賞したあと、大変厳かな心持になったところで煌びやかに彩られた御堂筋を淀屋橋の市役所前から難波まで散策した。

 

 

 

 今年は年代をイメージしたカラーで各区間を彩られているようで、阪神から大江橋までは70’で水都ブルー、北浜から船場中央までは80’のバブル期を表現しているそうだ。

 イチョウ並木がシャンパンゴールドに彩られる様は確かにゴージャスだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久太郎町からは90'~20'で多様性を表現したミックスである。

 

 

 

 2010'で変化するエネルギーを表現したピンク。

 

 

 2020'はよくわからない未来を暗示するように、よくわからないまま、難波到着。

 

 

 

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「アントニオ猪木展」 ② ~燃える闘魂の奇跡の軌跡

2023-12-04 | プロレス

「アントニオ猪木展」 ② ~燃える闘魂の奇跡の軌跡

 

 若き日の猪木は日本プロレスの経理が不正であるとして会社改革を企てるが、逆に日本プロレスから追放されてしまう。

 それではと新日本プロレスを旗揚げするが興行的には火の車で破滅へまっしぐら。

 と思いきや土壇場で不仲と思っていた坂口征二と合流しTV局も付き、何とか踏みとどまった。

 仲介者が居たとはいえ、これがひとつめの奇跡。

 

 宿命のライバル、G馬場も日本プロレスから独立し、全日本プロレスを創設。

 両団体間にし烈な興行戦争が始まる。

 アメリカの名だたるスター選手は殆ど、全日本が独占し、新日本に来るのは2線級ばかり。

    そこで、スター選手を自ら創ろうとするなか、タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンがのし上がっていく。

 

 

 また、それまで主流だった外国人レスラーではなく、日本人レスラーとの闘いに活路を見いだす。

 

 そして、二つ目の奇跡はプロボクシング世界王者のモハメッド・アリとの対戦を実現させたこと。

    もし、全日本が妨害せず、順風満帆にスター選手を呼べていたら、アリ戦はなかったかもしれない。

 困難は飛躍のチャンスだ。

    ところがアリ戦はルール問題で猪木はがんじがらめとなり、いわゆるアリキックしか使えない試合となる。

 だが、たとえ、一般人には面白くなかろうとも世界が酷評しようとも借金を何十億と背負おうとも、この試合が現実に実現しアリを追い詰めたことは紛れもない事実であった。

 

 

 世間から虐げられていたプロレスというジャンルに再び光を当てた。

 

 

 更に猪木は全日本プロレス=G馬場にはないストロングスタイルのプロレスを打ち出す。

 時にはシューターの本領を発揮して、パキスタンでは地元の英雄を再起不能にまで追い込む。

 

 ベルトには固執しないのが猪木流。

    それでも、ファンにとってはそれぞれのベルトが懐かしい。

 IWGPベルト、ワールドマーシャルアーツ、WWFベルト、NWFベルト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三つ目の奇跡は国会議員として、イラク戦争勃発直前に現地に出向き、日本人人質を連れ帰ったこと。

 これほどの奇跡が忘れ去られようとしている日本の不思議。

 

 

 

 猪木をわかる人とわからぬ人に世の中は分断されると思っている。

 猪木はある意味、何かを分別するリトマス試験紙のようなもの。

 それが何なのか、猪木を探す旅はこれからも続く。

 

   <  もうひとつの奇跡 >  画像をクリックしてください

 

 

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「アントニオ猪木展」 ① ~燃える闘魂の足跡

2023-12-02 | プロレス

「アントニオ猪木展」 ① ~燃える闘魂の足跡

 

 昨年10月1日に79歳で亡くなった“燃える闘魂”アントニオ猪木の展覧会「アントニオ猪木 80th ANNIVERSARY 燃える闘魂・アントニオ猪木展」が阪神百貨店梅田本店で開催されていた。

 闘魂の足跡を辿ることで偉大且つサプライズな人生に想いを馳せた。

 

 

 

 

 

  

 猪木はリング上で人生を表現できる唯一のレスラーだった。

     誰しも人生のリングで難敵と対峙している。

     だから、誰しも「闘魂」を抱けと猪木は鼓舞してくれているのだ。

 

 

 若獅子と云われていた日本プロレス時代の猪木。

 当時、まだ見ぬ強豪の一人であったザ・シークの初来日時に予定されていたシーク戦。

 結局、ドタキャンされたのだが、代替に来日した「鉄の爪」の方が嬉しかった。

 このポスターを見て、遥か昔のことを思い出した。

 

 

    リング上の鬼の形相とプライベートでの満面の笑み。

     そのギャップも魅力のひとつ。

 

 

 

 

 

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