10月22日の金曜日、南青山5丁目の『サロン ド フルール』で行われている「第3回キャラクターアート展」に行ってきました。
副題に「龍まんじ(バロン吉元)と若者たち」とあるように、先生が教えている大阪芸術大学の生徒さんたちの作品が中心でした。
いただいたお知らせのはがき
会場でのバロン吉元先生
先生が大阪芸術大学で教えているのは、キャラクター造形学科です。同科の大学案内VTRには講義をする先生の姿も映っています。
バロン吉元先生のホームページから、龍まんじ先生のホームページが独立してできていました。リンクをしておきます。
龍まんじホームページ
「龍まんじ」はバロン吉元先生のキャラクターアート面で使用しているお名前で、ホームページのプロフィールを見ると、「1980年渡米後は美術界に進出」となっております。1986年に双葉社から発行された『天女<花蓮>』がキャラクターアートの発露のきっかけを作った作品集とのことです。
もう一つ、まんが家バロン吉元先生の作品で忘れられないのが、中央公論社刊『愛蔵版 柔侠伝』3巻の表紙です。カバーイラストは「龍卍郎」。このころから今の「龍まんじ」につながる名前だったのですね。
1989年9月20日初版発行
1989年10月20日初版発行
1989年11月20日初版発行
副題に「龍まんじ(バロン吉元)と若者たち」とあるように、先生が教えている大阪芸術大学の生徒さんたちの作品が中心でした。
いただいたお知らせのはがき
会場でのバロン吉元先生
先生が大阪芸術大学で教えているのは、キャラクター造形学科です。同科の大学案内VTRには講義をする先生の姿も映っています。
バロン吉元先生のホームページから、龍まんじ先生のホームページが独立してできていました。リンクをしておきます。
龍まんじホームページ
「龍まんじ」はバロン吉元先生のキャラクターアート面で使用しているお名前で、ホームページのプロフィールを見ると、「1980年渡米後は美術界に進出」となっております。1986年に双葉社から発行された『天女<花蓮>』がキャラクターアートの発露のきっかけを作った作品集とのことです。
もう一つ、まんが家バロン吉元先生の作品で忘れられないのが、中央公論社刊『愛蔵版 柔侠伝』3巻の表紙です。カバーイラストは「龍卍郎」。このころから今の「龍まんじ」につながる名前だったのですね。
1989年9月20日初版発行
1989年10月20日初版発行
1989年11月20日初版発行