義母の作品(油彩)尾道水道の風景
30年ほど前に、義母が描いた尾道の油絵。
今この風景はどうなっているのか、そんな話になって、現地を訪ねることになった。
事前に調べてみると、
尾道水道に面した商店街の裏(海側)を描いたということで上のような写真を見つけた。義母もこんなところだという。
よく似ているが、しかし絵の方は家の際まで海水が迫っている。この写真には海水がない。絵の方は満潮時で、この写真は干潮時なのかも知れない・・・
さらに探してみると、ありました。
満潮時にはここまで水面が上がって来るらしい。そして、見事に義母の絵の風景と一致。青いトタンのような板から見ていくと、角度は違うがほぼ写真どおり!その正確な描写力に驚くばかりだ。
この風景に出会うべく、尾道の散策に出たのは連休の初日、天気は上々。
千光寺公園から見下ろした尾道水道。
ちょうど渡し船が向かっている桟橋から見た風景だったと義母から聞いていたので、その桟橋に向かう。
桟橋付近は随分整備されていて、どうやら昔の面影はないように見える。
義母が描いた家の姿はどこにもなく、海は堤防で囲われ遊歩道が出来ている。すっかり変わってしまっているんだ。
まったく手掛かりがなく、義母の絵の位置が特定できないで遊歩道を歩いて行く。
悠長に派手な小型フェリーが尾道水道を進んでいく。
すると地元の人だろうか、釣竿を丁寧にくみ上げているおじさんに出遭った。
私は義母の描いた風景のプリントを見せて、この風景は今はどのあたりか聞いてみた。
おじさんは懐かしそうな顔をしてしばらくプリントを見ていたが、これは駅前の商店街だと、遠くを観るような笑顔を私に向けた。
「何十年も前に取り壊されて、この辺りはこんな堤防になった」と竿を拭くようなしぐさをしながら教えてくれた。
結局絵に描かれた風景は、こんな姿に変わっているということが分かったのだ。
尾道の環境整備事業の一環だときいた。
海に向かう階段のゆるやかなカーブにその面影が残っているように思えた。
名前は伺ったことありますが
この様に水面ぎりぎりに民家が建ち並んでいるのですか
初めて知りました
水害が心配です
>30年ほど前に、義母が描いた尾道の油絵。
お義母様の絵 本当に驚きます
30年も前の風景が そのまま目の前にあるなんて
そんな旅も素敵です
ロマンチックですね
干潮時には写真のように階段状の雁木(がんぎ)と呼ばれるものが干上がって砂地まで見えるのですが、満潮にはその通りだったのです^ね^
この絵が話題になって、まるで床下浸水状態の民家の絵を現実的に思っていなかったのです。
ところが、ネットで調べてみたら本当にあったのです。義母の絵そのままの写真を見て、あらためて興味が出まして、尾道に旅行する機会に現地に行こうと思い立ったのです。が、
今はすでにその風景は、コンクリートの堤防に変わっていました。
山と違って、人工物はがらりと風景が変ってしまうものなのですね。
ちょっと寂しい気がしました。
その視点からの写真を発見!されたのしてんてんさんも同様に素晴らしい。
四年前、学生時代の同期の友人達とともに
亡くなった友の七周忌のお詣りを兼ねて広島・山口を訪れました。
墓参を終え、岩国で一泊、その翌日は尾道で一泊しました。
尾道水道の光景・・・今も印象深いものがございます。
※その墓参の旅についてブログに記していますので、
お時間がおありの時にでもご覧いただければ幸いに存じます。
https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23cd629d23c8bbafa7648ecb035c3ab6
まるでプロ顔負けの作品です。
驚くのは60から絵に興味をもち描き始めたもので、この絵はその初期のものなんですよ。
何より感心するのは、10年ほど描き続けるのですが、どんどん腕を上げ、私の目から見て教室の先生を完全に追い越してしまった画力だと思いました。
その義母がぴったり絵を描かなくなった理由が私にはまるで巨匠のように思えるのです。
それは近所のため池の風景を描いた小品でしたが、西洋の古典かと思う素晴らしいものでした。
その絵を描いて、義母は「出来た」と思ったのだそうです。思う絵が描けた。だからもう描く理由がないというのです。
この精神を見習いたいといつも思っています。
今も元気にしていますが、もう一度絵を描いてほしいと密かに思っているのです^よ^
デ某様の尾道散策、深い思いで読ませていただきました。
命の尊さを考えさせられました。
ありがとうございます。