一枚の絵を描き終えた。
無気力はそこからやってきた。
その無気力はどうも、その前からあったらしい。
それが、とりあえずこの絵を描くという行為でまぎれていたのだ。
絵が完成した途端、自分に何もする気力がないことに気付いた。
今、何でもいい、機械的に動く義務のようなものがあれば、この無気力はまたその行為の中に埋没する。無気力に気付かないで義務を果たし続けるに違いない。
思えば、それが私の勤続41年の実態だったのかもしれない。
己自身を生きる気力が不足している。その不満を義務が紛らわせていたのだ。
それがなくなったときから、私は自分を生きる気力の不足を感じ始めた。
そしてそれがはっきり、言葉で理解することが出来るようになっただけのことなのだろう。
とにかくこの無気力を見つめるしかない。
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