ナウイズムの提唱する「瞬間」というのは、癒しの意味があると前回書きましたが、
それはナウイズムを生きる結果、現れる効用だと考えて下さい。
というのも、間違って癒しを目的にしてしまうと、そこから前に進まないからです。
ナウイズムの本当の意味は、瞬間を生きるということにあります。
つまりそれは、
瞬間にしかない、自分という実在を100%活かす生き方をするということなのです。
具体的に言いましょう。
お茶を飲みます。
ナウイズムはこの時、
全身全霊でお茶を味わう。その瞬間を、五感と共に飲み下す。
それが理想だというのです。
実際私たちはこんなふうにはいきません。
忙しい朝など、ほとんど無意識に、味わう暇もありません。
お茶を飲みながら、意識は出勤時間を気にしています。つまり心はお茶を味わっているのではなく、すでに仕事をしている訳です。
心は仕事に追われ、あるいは何かの強迫観念に心を奪われて、今この瞬間に生きている自分をほったらかしにしている。
これが現代人の姿と言ってもいいのではないでしょうか。
そのことを悪いとは言いませんし、実際そうやって私も生きてきたのですが、その経験からナウイズムが生まれたといっても過言ではありません。
自分を失った生活の中で、私の場合、創作活動は有益でした。
その瞬間だけは、己の中で生きる経験が出来たからです。
会社務めで、100%己を生きるなんて到底出来ることではありませんよね。しかしそれは一日24時間縛られるわけではない。
1時間でも2時間でも、可能な限り自分の時間を持つ。
それができたことが、私には救いだったのかもしれません。
ナウイズムは、そんな私の経験から生まれてきたものですが、忘れている自分をとりもどすことの重要性を今も痛感している訳です。
だからどうしても、理想から語るしかありません。目を向けて生きる方向を示すことは出来るのではないかと思うのです。
ナウイズムは、瞬間を意識して生きるということです。
瞬間を生きるということは、己を生きるということ。
己を生きるということは、自分に備わっている力を活かすということ。
自分に備わっている力とは、時間に追われないこの瞬間だけにあるもの。
この瞬間とは己のすべてであること。
瞬間は私そのものであり、そしてそれは空間のエネルギーであるということ。
平たく言えば、
お茶を味わい尽くすこと。
日常の些末なことを、心をこめてこなすこと。
その瞬間は、間違いなく自分と共に生きていると
ナウイズムは主張するのです。
己を生きるという素晴らしさを次回書いてみます。
ナウイズムは世の達人たちの生き方にも観ることが出来るのです。
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