
(64羽の連鶴、一枚の紙を8×8の正方形にして一端を切り離さないでおきます。そのまま鶴を折っていきますと、ごらんのような連鶴になります。)
なにを思ったのか、何年も前に、こんな鶴を折ったことがあります。最初で最後の作品ですが、それをふと思い出しました。(幸せの連鶴)
目の前にさわりたくなるような、和紙があって、つながった鶴が出来るだろうかと思ったのがきっかけでした。
思い立ったら動き出します。
あの時何気なくやり出したのですが、いつの間にか熱中して一日を過ごしました。
途中、今日やろうと思っていたことが頭をかすめましたが、一羽、また一羽と折り進むうちに、止まらなくなったのを覚えています。
羽とくちばしが引っ付いたり、手をつないでいても体が上下逆になったり、折り方の手順を間違えると、戻してやり直し。
そのたびに自分にツッコミを入れながら、今思えばそれが楽しかった。
折りながら、自然に頭の中に、「幸せの連鶴」という言葉が出てきて、完成前に名前も決まりました。
お蔭で一日何もできませんでしたが、その時間はしっかり私の中に残りました。
ナウイズムを端的にいい現わすとすれば「無我夢中」ということになるのかもしれません。
夢中になれるものと巡り合うことは難しいと言われるかもしれませんが、
実はそれは形ではないのです。
今を意識すること。
ただそれだけで、私たちは無我夢中の中に入れます。
試してみたください。
食事をしているとき、家事をこなしているとき、通勤の電車の中にいるとき、
その瞬間の自分に意識を向けるのです。
食事を味わい尽くす。するとどんな粗末な食事でもこの上もないご馳走になります。
夢中になって皿洗いをする。すると誰からも顧みられない仕事が、輝きはじめます。
揺れる電車のリズムに心を添わせる。すると同じリズムで動いている仲間を発見する。
生活のすべての瞬間が、心を無我夢中にさせてくれるのです。
ほんの一瞬でも、それを体験出来たら
その体験はまた起こります。
点が集まったら面になる
面が集まったら空間になる
その一瞬の体験が、ナウイズムの入り口となるのです。
様々な分野の達人がいます。
達観した人々の共通のことばは「無心になる」ということだと思いますし、
気の力を極めた世界、気功や体術なども「無心」です。
生まれてきた命を100%活かす。
これは誰でも、今この瞬間に出来ることです。誰でも、例外なく出来ます。
訓練も何もいりません。生きているただそれだけが素晴らしい能力だということなのですね。
今、この瞬間にいる自分に気付くこと。
するとあなたは山の尾根に立っている。
片方の斜面は苦悩坂、
その反対斜面は、喜び坂、
そしてあなたは実在の至福を手に入れる。
自分のやりたいことは、その次に来ます。
自然に、あなたは何かをやっている。
あなたの生まれた意味が動き出す。
あなたが主婦なら、生きいきとした主婦になる。
あなたがサラリマンなら、溌剌とした社会人となる。
あなたが職人なら、名工となる。
己の中にある力を100%活かす。
ナウイズムはそれができる。
あなたは、自分で、自分を夢中にさせることが出来るのです。
初めて拝見しました が ビックり仰天です\(◎o◎)/
凄い技能
そして素晴らしいアートですね
何かの拍子に意地になってしまったのですね。
一日遊んでしましました。