
喜びと悲しみの境目に立って、私は一つの実験を思いつきました。
悲しみの中には、思いやりから端を発しているものがありますし、苦悩の多くは、生きる意欲の上に生まれているものですから、とても貴重なものだと私は思います。
苦悩や悲しみがなかったら、人間は人間でなくなる。
様々な芸術や文化は、そこから生まれているといって過言ではないでしょう。
しかし私たちを悩ませるのは、過度の苦悩なのです。思い違いによる悲しみ・苦悩が、私の中にはたくさんあります。それが見えてきたと言えばいいでしょうか。
心のエネルギーが谷間に向かって下がり始めると、思考が苦悩を探し始めるのです。なんだかわからないけれど、とりあえず悲しい。そんな考えが動き出します。
憂鬱(メランコリー)です。
その時私は必ず、マイナスの方向をむいているのです。
そこで、私の実験です。
心がマイナスに向いたとき、そこから意識的にプラスの要素を探し出せないかということです。
マイナスに向かっている意識をプラスの方向に向けることは出来るか。
その実験は成功しました。出来る。その可能性は充分あるのです。
憂鬱で、マイナスに向いた心の状態は、実は今自分の手に持っている幸運を忘れてしまっている状態だと分かったのです。
つまり、意識的にプラスに目を向けるということは、ありもしない妄想で自分をごまかすことではなく、
逆に、在りもしない妄想に取りつかれて真実が見えずにマイナスに目を向けているメランコリーに、真実を見せてやるのです。
具体的な私の実験はこうすすめました。
心がマイナスに陥ったとき、
今、自分は呼吸が出来ていることに意識を向けました。
「楽に呼吸が出来ている。何てありがたいことだ。」そう思いました。
すると忘れていた様々な幸運が芋づる式に浮かんできます。
「好きなところに歩いて行ける。」「思いをキャンバスに描き出せる。」・・・・
忘れていた幸せに気付きはじめます。
その思考に意識を向けていると、
いつの間にか憂鬱は消え、私の中にずっと脈打っていた鼓動や呼吸やに合わせて、宇宙のリズムが、私を心地よい高揚感に誘ってくれるのです。
私はこの実験をもっと広げようと思いました。
必要以上の苦悩をつくり出している思考は、マイナスをむいているのですから、その思考の思い込みを見つけだし、プラス思考に変えていくことが出来る。
そう思い定めて、私にやってくる苦悩をプラス思考に変える実験を始めたわけです。
たくさんの方がここに訪れてくれます。
人のつながりに感謝するばかりです。
その皆様にも、この実験に参加していただけないかと思い始めました。
人の心は、みな、自分自身だけのもの。誰からも干渉されないし、何の抑圧も受けない。ですから、みな、それぞれの心の中で、実験するしかないのです。
マイナスに向いたメランコリーは、意識的にプラス思考を見つけ出すことで救うことが出来るか。
一人ひとりが、各自の心の中で、実験成功の体験をするしかありません。
もしこの実験が成功したら、その人数がひとつ二つと増えて行ったら、その成功例が山のように集まってきたら、人は無駄な苦悩を生きる方向に向うエネルギーに変え、自分を活かしきることが出来るようになる。
私の成功例は、先にあげましたように、
呼吸に意識を向けたことから、マイナス思考をプラス思考に変わったという事実を、皆様に報告することが出来ます。
今、この瞬間にも生きている身体の、無償の努力に感動して感謝することが出来るのです。
まだまだ、たくさんの成功例があるのではないか。
そう思うことも、深く心をしあわせにする意識なのです^ね^。^
私の場合は……と考えてみれば。『とりあえず生きている』かな?と思いました。
ありがたいでもうとましいでもなく。『とりあえず生きている』という事実の発見、でしょうか?
私の友人のひとりに、若い頃『死にたい』と口走ることの多かった女性がいますが、彼女の悩みにどう答えたらいいか、悩みました。私は何故か『死にたい』とは思ったこと、今までなかったですので(笑)、彼女の悩みにどう向きあったらいいのか、悩みました。
大学時代にお世話になった教授のひとりに『焦ることないですよ、あわてて死ぬことありません。人間はいつか、必ず死にます』と、脱力したような口調でよくおっしゃる方がいました。前向きなんだか後ろ向きなんだか、よくわからないたたずまいでのその言葉は、とても印象に残っています。
彼女にその言葉を紹介しましたが……今まさに死にたい、と思っている人に適切だったのか、未だにわかりません。彼女は彼女なりに人生に折り合いをつけたようですが……どういうきっかけで浮上したのかは私にはわかりません。聞いてみたい気もしますけど聞いてはいけない、彼女の心のサンクチュアリ……のような気もします。
呼吸、出来てるんじゃない?……そう言えば良かったのかもしれませんね。
永遠にわからない問題ですね。
良しと思ったことも、その人の心が吸い取る状態になければ意味はありませんし、危険なのは、思いを押し付けになってしまぅことです。
いきなり、あんた呼吸してるじゃないかなんて言われたら、99%アウトでしょう。
それより、自分の心を動かされた教授の言葉を伝えたことが、きっと友人の心に残ったことでしょうネ、
結局、己を活かすことを考えるしかないのではないでしょうか。
必死で自分を生きる。そこから生まれてくることばだけが、人に通じるのではないかと思います^ね^
とりあえず生きている。
いいじゃありませんか。
今、とりあえず生きている。急がなくても心配しなくても、人は必ず死ぬ。
絶望に振れるか希望に振れるか、その人その時次第の、あやうい概念、かもしれませんが。
私には、ニュートラルから浮上に振れる、概念のように感じます。
彼女にとっても少しはそうだった……ことを、祈ります。
彼女は今、二人の大きい娘さんを持つ、お母さんです。
死にあこがれる時代もあるのでしょうね。
でも乗り越えて二児の母。その子の成長も見守っていらっしゃる。
もしかしたら、その教授の話し、覚えているかもしれませんよ。
「とりあえず生きている」
この、「とりあえず」に余裕が感じられます。
気分が楽になったのは、その力だったのかもしれませんね。
自分の思いに追い詰められて、余裕を失ったら大変ですから、
「とりあえず」はいつも心に一拍距離を置く効果があるのでしょう。
いい言葉に出会いました^ね^。^
「不幸を知らなければ、幸せが何かわからない」…この言葉を実感した事がありました。
42℃近い高熱で…本当に死ぬかもと思った時で…手足が動かなくなりました。
この時初めて「本当にやりたかったこと(自身の最高傑作の作成)」と「手が動くことの幸せ」を…身に染みて感じました…。
※…大の大人が涙を流しながら、「足を失ってもいい…あと4時間でもいい…生きさせてくれ!」…あの時、親には随分迷惑を懸けました…反省。
そして、「むっちゃん」さんのコメントに…もし「むっちゃん」に見ていただけるなら。
”彼女を救ったのは相手の事をよく理解して、「その教授の言葉」を伝えてくれるほど、心優しい存在=あなたがいたから”ではないでしょうか。
自分の事を理解して、味方をしてくれる人が…この世にいる。それは…本当に有り難いことだと思います。
だから、彼女をこの世を信じる事ができた…そう若輩者ながら…感じました。
長文コメント失礼しました。
そうですね
この一言 しっかり覚えて かえります(^^)/
人間生きていく上では 適度なストレスは 必要ですね
彼女が立ち上がり歩き続けているのは、彼女自身の力ですが、マラソンランナーを沿道から激励する友人……くらいの役は果たせた……かな?とは思えました。
ありがとうございます。
とても重要な意味が含まれているように思えてなりません。
喜びと悲しみの狭間を考えるヒントとして、皆様と共有させていただきたいと思います。
むっちゃんさんへのご意見も傾聴に値しますね。
人は一人では生きられない。
ネットでつながるだけでも、勇気が出るのですから、心の力を正しく使うために、勉強していきたいです^ね^
ブログを拝見させてもらいながら、いつも一緒に歩いている気分味わっています。
自然と共にある幸せ
喜びも悲しみもひとまとめで受け入れてくれるのが山なのかもしれませんね。