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何故、ヒトを殺してはいけないのですか?(4)

2016-10-29 | ナウイズム(実在主義)

(鶴の真実?)

 

 

風間 夕夜 さんからこんな記事を紹介していただきました。

「何故、ヒトを殺してはいけないのですか?」

むっちゃんさんから投げかけられた設問を、ともに考えていく中で、こんな側面もあるヨという、提言です。

内容は、ブッタのエピソードと、宅間守死刑囚の手記を紹介したもので、気持ち悪いと思われる方は読まない方がいいかもしれません。

しかし、池田小学校で起こった事件は事実であり、引き起こした犯人を生み出した社会が、今もここにあるのですから、私たちは人間として、苦くとも消化しなくてはならないのでしょう。

風間さんの意向はそこにあると理解して、考えてみたいと思います。

 

その記事は、これです。 (ブッタと宅間) 

 

ブッタのエピソードは、この問題を解く一つのカギですね。

先日のむっちゃんさんのご意見、

滅ぶ目的で生まれたのではない。そしてナニかを滅ぼす目的で生まれたのでもない。」

に通じる解決をブッタは示している訳ですね。


宅間の手記を読むと、まずわかることは、自分を悪と考えない思想があるということでしょう。

それゆえ、己の行動を悪と認めざるを得なくなったときに、それを他人に転嫁する。

胸が悪くなるような暴言を吐いていますが、言っている内容は、国会などででよく見る光景と大差はないでしょう。

人殺しと一緒にするなと、お叱りがあるかもしれませんが、あえてそう書いたのは、誰もが持っている人間性を土台にして、宅間は生まれたということを強調したかったからです。

ブッタが示したいのちの理解を逆手に取るものが現れれば、誰でも宅間になりうるのです。


問題はなぜ、このような悪魔が現れるのかです。

私はそこに、四次元思考の限界を見るのです。

時間は止まることなく変化していく。そんな中で人は過去も、今も、未来も、すべて一緒くたに背負わされて生きていかねばならない。

そんな人間が必然的に抱え込む問題は孤独です。目に見える変化は、自分と世界をはっきりと切り離す。自分が死んでも世界はある。世界があても、自分はみじめに死んでいく。

常にそんな未来が見えている。これが四次元思考の落とし穴と言えるでしょう。

 

宅間の中にあるものは、その孤独です。まったく己しか見えないほどの孤独があったのではないでしょうか。親でさえ、彼の心に届かないわけです。

にもかかわらず、命に対する洞察は鋭い。

その洞察が、時間思考とかみ合って、あってはならない方向に転がっていった。

 

第二、第三の宅間が生まれてる。

私が四次元思考の終焉を感じるのはまさにそこなのですね。

時間を手に入れた人間は、知らないうちに個独を背負わされているのです。幸い、自明の意識が、その孤独を慰めてくれているのが、私たちの実情だと思うのです。

 

もし宅間が、もっと深く、己を見つめ、その真実に行き着いたら、ブッタのエピソードに行き着きます。

自分は、社会から切り離された存在ではなく、この世界と不可分の一の存在だと理解していたら、こんな事件は起こらなかった。

「何故、ヒトを殺してはいけないのですか?」という問いは、

答えるものではなく、その理解の中で消えていくものではないでしょうか。

 

私のこの身体は、宇宙と不可分の一なのです。

その思想は、未来にも過去にもありません。まさに、「今でしょう。」

 

この今、生きているいのちを実感する。

私たちの真の救いは、この中にしかないのです。

 

重ねて言いますが、私たちのなかにある孤独感は、四次元思考が引き起こしているのです。

 

「私」を巻き込んで広がる宇宙。

その全容を認識できるスケールの概念を身に着けることだけが、孤独感から実在の存在に私たちを帰してくれるのです。

その時私たちは、己の意識の中で産声をあげる。その声の意味を正しく理解するのです。


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2 コメント

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ありがとうございます~重いテーマでした~ (むっちゃん)
2016-10-29 13:12:53
この問いは、いつだか耳にした時から頭の片隅にありました。
何故、ヒトを殺してはいけないのですか?
問うてはならない、問わしてはならない、そんな問いです。

でも……浮かんできてもおかしくはない、問いです。答えようとすれば絶句する、問いでもあります。

何故、死んではいけない?
何故、生きていかねばならない?
何故、滅びてはいけない?
何故、存続しなくてはならない?

同様の問いでしょう。友人の『死にたい』に対処出来なかった時のように、いえそれ以上に、私にとって絶句するしかない問いです。

死を憧れる気持ち、滅亡を憧れる気持ち、では私に全くないかというと、そうでもなさそう……です。
このすさまじい孤独を自分独りで抱えるのに疲れたら、全世界・全宇宙と一緒に消滅したい……そんな破壊衝動に結びつくかもしれません、現実に可能かどうかは別として。『全世界・全宇宙』でなくとも、近くの誰か・見知らぬ誰かへ破壊衝動が向くのは……比較的易いでしょう。

破壊は子供でも出来る。
創造はそうはいかない。
だがエネルギーは同質。ベクトルが逆なだけ。
実感するのは……難しいでしょう、特に孤独と苦悩の真っ只中にいる時は。

とりあえず生きている。私は私として生きる為に生まれた。
私は孤独なのではない。『今』全宇宙とつながり、生きている。
私を含め、悩む人の支えとなりますように。
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ありがとうございました。 (のしてんてん)
2016-10-30 09:41:15
孤独と苦悩の真っ只中にいる時は、じっくり苦悩と付き合って、晴れ間を見つけましょう。

答は必ず自分の中から生まれてくるのですから。

今とつながる意識を持っていきましょ^う^

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