のしてんてんハッピーアート

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何故ヒトを殺してはいけないのですか?(3)

2016-10-28 | ナウイズム(実在主義)

ナウイズム(実在主義)旗揚げ展・はるひ美術館のための制作

五次元宇宙(1枚/16枚)

 

 

とても重い主題ですが、とりあえず生きている。

この呼吸のリズムを落ち着かせて、とりあえず前を向いて行きましょう。

 

むっちゃんさんから、次なるメッセージを頂きましたので、ありがたく共有して考えてみましょう。

ちなみにむっちゃんさんは作家さんで、当ブログの新セリナの物語で、私の作品の二次創作を試みていただいた方です。(かわかみれい)そのおかげで、セリナの物語が倍にグレードアップしました。

 

ともあれ、以下むっちゃんさんの文です。

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少し前に、へっぽこ物書き『かわかみれい』が書いたお話のひとつの中に、こんな記述をしたことを思い出しました。

生命体の総意、とも言える『龍神』と対峙したひとりの若者が、村を救いたいから『龍神』の水を分けて欲しい、と頼んだ。が、『龍神』はにべもない。『私にお前達を救わねばならない理由はない。お前達の先祖はそもそも、芦原を開いて今の村を作り、住み着いた。その時、芦原と芦原にすむ者たちを、それと意識せずに殺した。今度はお前達が死ぬとしても、順送りというものだ』と。若者は絶句し、しかし食い下がる。水をめぐって人間同士争って死ぬのと、それと気付かず他の生き物を殺してしまったのとは訳が違う、と。だが『龍神』は言い捨てる。『生きとし生けるモノに、そんなに差はない』。

長々と失礼しました。
今回の話と直接的に関係は薄いかもしれませんが、『龍神』の認識が『真実』サイド、若者の認識が『人間の理性・自明』サイド、かな?と思いましたので。

人間として社会を築き、その中で安心して暮らしていくのには、『理性・自明』……ある種のお約束、がいるでしょう。あまりにもそれが強固だと、息苦しい抑圧された社会になるでしょうが。そんな社会はイヤです。でも、『真実』サイドの部分と本能だけが暴走する社会は……すでに社会ではないでしょう。信じられるのは自分だけ、いや自分さえも信じられない。
沸き上がる衝動にだけ忠実、となると……滅びは目の前でしょう。

滅んで、何がいけない?『龍神』はけんもほろろに言い捨てる。が……その絶句する『真実』に対峙し、若者(人間)は言うべきだろう。『我々(私)は我々(私)として生きる為に、生まれてきた』。背筋を伸ばし、きっぱりと。
滅ぶ目的で生まれたのではない。そしてナニかを滅ぼす目的で生まれたのでもない。……そういうことではないでしょうか?


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むっちゃんさんの結論。

私もその通りだと思います。結果人はそう考えるしかないのだと思います。

 

龍神と若者の話しは、人間の今の姿をとてもよく表していると思います。

私のいいたいことを、この図式を借りて言えば、若者と竜神は実はひとつなのだということです。

竜神サイドと若者サイドというのは、なんとなくわかるのですが、そこにある考えの中には、竜神を自分の意識の中に納めてしまう。自明から見た姿が浮かんでいるのです。

創作するためのには当然必要なことですから、作品に問題があると言っているのではありません。

くれぐれも思い違いしないでください^よ^。

そうではなく、

私たちは、真実の竜神を見るとき、それは微塵の一粒ですらない部分に、光をあてているにすぎないということです。

竜神はもの言わぬ存在という意識が必要なのです。

真実の竜神にはセリフはないのです。そこにセリフをつけて龍神を考えてしまうと、私たちは自分の頭の中で堂々巡りをするばかりか、竜神に対して反逆するものまで出てくる。

 

「何故ヒトを殺してはいけないのですか?」という問いは、若者に向けられた問いではないというのはわかりますよね。

もし若者に向けられた問いなら簡単です。私たちの自明を優しく繰り返したらいいのですから。

しかしこれは明らかに、竜神に向けられた問いなのです。

しかし竜神は語らないでしょう。

何万年待っても、答えは返ってこない。

 

ではどうします?

若者の方から、竜神に分け入っていくしかないのです。

 

私がナウイズムを提唱する論理、五次元思考にはその方法がある。

若者=竜神

という図式が理解できる認識方法、スケールの概念です。

 

人は長い歴史の中で、時間の概念を身に付けましたが、今や、スケールの概念を必要としているということです。

 

 

 

 

 

 

 


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4 コメント

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ありがとうございます (むっちゃん)
2016-10-28 11:04:23
私の拙いコメントを何度も取り上げて下さってありがとうございます。

『龍神』=『若者』。『龍神』は、『若者』がとらえられる絶対……真実の、形、であろう、と。
それが冷酷であれ、慈愛に満ちた存在であれ。

しかし本当の『龍神』に、本来台詞はない。

すごくわかります。

『若者』はそれでも、『龍神』に問いたくなる。しかし『龍神』は何も答えない。
答えてくれない。
『龍神』に答える必要も意志も、何もない。

それが絶対、というものでしょうから。

なら『若者』は、どうするべき?

己れは生まれ、生きている。
そのことを静かに認め……今を生きる。
絶対の前で絶句しつつも。

画伯のナウイズムに通ずる、認識……そう理解しました。
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新しい考えへの出会いに感謝を。 (人生の素人)
2016-10-28 22:58:05
 素直に、「その考えには全く至らなかった。お見事…!」と申し上げたくコメントさせていただきます。

 最後の文「スケールの概念を必要としている」にハッとさせられました。

 そして、いつの間にか、竜神と人、どっちが正しいのか…
 そんな敵対や二極化に対し、”若者と竜神は実はひとつなのだ”と言う考え。

 ”どっちかではない答え”への納得を感じ、改めて
 「人間は生物で、1と0で全て決まるものではない」…私なりに「新たなスケールの概念」の大切さを感じました。
 
 興味深い考えとの出会いに感謝しています。ありがとうございます!
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むっちゃんさんありがとう (のしてんてん)
2016-10-29 10:09:00
今回、こんなテーマを頂き、正直戸惑いましたが、おかげさまで、私の心も幾分すっきりいたしました。

お礼申し上げます。

人は、何があっても、今を生きるしかないのでしょうね。

どんなにみじめに見えても、それは龍神様の意味が付与されている。

そう信じるのは大切なことですし、それが私のいう信仰なのです。

またいろいろ、議論していきましょう。
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人生の素人さんありがとうございます (のしてんてん)
2016-10-29 10:17:48
人生の素人さんのまっすぐな心に、私こそ敬意を覚えます。

スケールの概念は、私が作り上げたものではなく、昔から人の心にあるものなのです。

昔よく言われたのは、米粒ひとつひとつの上に神様がいる。だから粗末にするな。でした。

人は心の奥底に、生まれたときから持っている真実なのですね。

新しい風景が見えてきたらいいです^ね^。
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