のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

クスノキの精霊

2017-02-21 | 心の旅

 

 

清州の駅から徒歩20分、

清須市はるひ美術館に向かう道程に大きなクスノキが見える。一本の樹が一つの森のようで、毎回私を寄り道に誘う。

先日、その誘いに乗って、行ってみると、拝殿はなく、神楽の舞台と小さな社があるだけの境内。そこに大楠が立っている。

石柱に大國霊神社の名があるので、どうやら先週に見た裸祭りの国府宮と関係があるのかも知れない。

ともあれ、誘われて立ち寄っただけの価値のある樹容。一目で好きになった。

二本の幹が寄り添って空に向かう素直さがうれしい。

手を添えると、精霊が流れ込んでくるような気分になる。

温かい肌だが、正面だけ樹皮が擦り切れている。私のように手を触れるやからが多いいということののだろうか。あるいは精霊の出入り口なのかも知れない。

見上げると見事な宇宙。いのちのドームが見える

時間を忘れて見上げている。

このクスノキの風景に、もう一つの風景を重ねたらどう見えるだろうか。

ふとそんな思いがやってきた。

対称性宇宙から見た世界だ。

天に向かって歓喜の祭礼か、暗黒の儀式か。

それは見るものの心にゆだねられている。

 

ところで、あの精霊の出入り口には何が見えるのだろう、もし本当に精霊の出入り口なら、対称性を備えたその真の姿が見えるかもしれない。

一体どうしてこんなことが起こるのだろう。

かわいい精霊が、その入り口から私を見つめているではないか。しかもその上には闇の樹霊が見下ろすように眼を光らせている。

 

自然というものの不思議。

この不思議に包まれて生きてる自分が、まるで精霊に抱かれているように思えるのはどうしてなのだろう。

ナウイズムの姿がそこにあるのだろうか。

ワタシにはワカラナイ

 

 

 

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6 コメント

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クスノキは… (むっちゃん)
2017-02-21 12:14:27
どーも、マスター。
エヴァンゲリオン読破、お疲れさまでした(笑)。
寝不足、大丈夫でしょうか?ソッチの感想等のお返事は、先のブログのコメント欄で少々書かせていただきました☺。

クスノキ、何故か好きです。
事実、自作のモチーフによく使います、ご存知でしょうが(笑)。
クスの大木の根本に立ち、広がる枝葉を眺めていると……言葉が消えます。
消える言葉の感触を、言葉で表現したくなるのが私の業ですが。

クスに感じる感触で、今、言葉になるのは
『輝く星に、なれましたか?』
という優しい問いかけ……かもしれません。
『なれた、と言い切る自信はありませんけど、 なりたい、とは、思い続けています』
が、今の答えです(笑)。38歳のアイツと同じく。

基本はそれで良いでしょうが。その更なる先、クスの語るナニかが変わる日が……予想出来なくて、楽しみです。
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輝く星 (のしてんてん)
2017-02-22 09:31:49
むっちゃんのクスノキ信仰の波動はよく伝わってきます。信仰は言い過ぎでも、心よせているのはよく分かります。

あなたの中の輝く星を身守っているのも^ね^
卒業制作はそんな作品でしたね。輝き始めていますよ。


ところで、もう一つこんな考え方もあります。

自ら輝かない星
たとえばダイヤ。

自ら輝かないダイヤは、暗い闇の中で、ひたすら自分を磨きます。それは光があたったとき、目いっぱい輝くように。

一流のダイヤは、その場所でひたすら磨きをかけます。

二流のダイヤは光のある方向に走り回って、自分を忘れている。

むっちゃんの創作態度は間違いなく、一流のダイヤです^よ^
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面映ゆいです (むっちゃん)
2017-02-22 10:13:31
面映ゆいです。

一流かどうかはわからないですけど、『輝く星でありたい』と思い続けることは、研いだり磨いたりする事につながる……のかもしれません。

現在の研いだり磨いたりのその先にある、修羅が若干、怖くはありますけど……恐れず進み、その先の大楠先生のお言葉を聞きたい、と思います(笑)。
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願いが道を開く (のしてんてん)
2017-02-23 10:14:03
砥ぎ続ける力は願いからやってきます。

そして、一流である意識を捨てないことです^ね^。

一流とは、
死ぬまで光があたらなくてもいい。という覚悟ですから、

修羅を受け入れて、自分の出来ることをやる。
「とりあえず生きている」で肩の力を抜いて行きましょう。
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そうそう (黒仁庵)
2017-08-26 09:11:04
野生の楠の木の北限は、僕が住む福岡です。
つまり本州に生えてる楠は全部二次林・人が意思を持ち植えた物なんですね。
楠は密度が高く腐食しにくいので、寺や神社の濡れ縁に使われます。
「じゃ全部 楠で家作れば良い」と思う人もいるでしょうが、全部使うとなると、硬くて加工しにくい楠は、大工さん泣かせ となって使われない、のです。
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黒仁庵様 (のしてんてん)
2017-08-27 08:47:53
野生クスノキの北限が福岡とは知りませんでした。

熱帯の植物?なのでしょうか^ね^

神社につきものという感じのクスノキですが、意図して植えられたものだったというのは意外でした。

ところで、野性のクスノキとはどんなものなのでしょうね。

見てみたい。

そんな気がします。

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