2015年清須市第8回はるひ絵画トリエンナーレ「優秀賞」
この作品をよく目に焼き付けておいてください。
この作品が、私のとんまなドジのために、明晰なはるひ美術館学芸員さんとの間で、とんでもないエピソードを生み出しまして、一日、そのドラマの主人公を演じておりました。
今回、ナウイズム旗揚げ展が開催できることになったきっかけとなった作品で、同展を開催する美術館側の唯一の条件が、受賞作品を展示するということでした。
で、先日、学芸員さんが、わざわざアトリエまで最終打ち合わせに来ていただいた様子はお伝えしました。
あの日、私は作品のプレゼンの意味もあって、アトリエに作品を展示して学芸員さんをお迎えしたのです。
こんな感じで、100号大作を中心に、並べまして、反対側にはこれ、美術館に展示予定の受賞作品を掛けたのでした。
この写真ではわからないのですが、箱の中に積もった砂の山に、一匹のてんとう虫を描いています。
拡大すると分かりますね。
ところで、この作品が受賞作品ですと言って見ていただいたところ、真っ先にこのてんとう虫に目が行きまして、
「あれ?こんなところにてんとう虫がいましたっけ?」
と首をかしげました。
そこで私は、なぜここにてんとう虫が必要だったのかを熱弁しまして、その日は学芸員さんも納得されて、帰られました。
エピソードはそこから始まったのです。
「こちらの作品写真にはどう見てもてんとう虫はいない。」
後日、メールを頂きまして、美術館で撮影した作品にはてんとう虫はいないと言ってきたのです。
私も嫌な予感が走りました。
で、翌日、私は変な胸騒ぎをかかえたまま、自分の作品の調査にかかりました。どこかに記憶の混乱があるのか、てんとう虫は消えたのか・・・私に描きくわえた記憶は一切ないのです。
しかし、別の作品(同じテーマで何枚も描いていますので)には描きこんだ記憶がありまして、そのあたりがエイリアンに襲撃されたようなミステリー。
私がこれだと思い込んで掛けた作品は50号の大きさ。
そう思ったとき、はるひの作品、50号だった??という疑問が生まれました。
もしや、私ははるひの作品集を引っ張り出し確認。
それが表題の写真なのですが、大きさは100号だった!!
やっとミステリーの謎が解けたのです。
別の展覧会に描いた作品(50号)を、どこで思い違いをしたのか分かりませんが、はるひの作品と思い続けていたのです。この作品も受賞作品ですので、頭の中で入れ替わってしまったのでしょうか。
思い込みとは恐ろしいもので、少々つじつまの合わないことも、理屈をつけて、思い込みを続けようとします。
学芸員さんの前で、なぜてんとう虫を描いたのか、力説した自分の姿が滑稽です。大きさが全く違う作品を、いったいどうしたら間違えるのだろう。
今なら首をひねるばかりですが、
思い込んだら疑わない自分の頭を目の当たりに体験させていただきました。学芸員さんに感謝です。
学芸員さんがいなかったら、私のこのミステリーは美術館の展示会場まで封印されたままで、大変なことになったはず・・・・・
そう思うと学芸員さんに感謝×感謝=感謝の自乗
ありがとうございました。
よかった^よ^か^っ^た^。
マスターのお書きになったファンタジー『黄泉の国より』を、『黄泉の国から』と思い込んでおりました。
好きだと言っておきながら、間違ってすみません。気付くのにしばらくかかってしまいました。
大変失礼を致しました。
第一部は歌がテーマなら、第二部は絵をテーマに……という構想だったのですか。
うーん、ますます気になるんですけど。
まあ、そちらは神様のご機嫌が向きそうもないので、今のところ諦めるしかなさそうですが。
話は全く変わりますが。
例の『変な宗教』云々の誤解方面の理由、ふと思い付いたのですが。
要するに『体験したか否か』、にかかっているのかな?と。
例えば、お金に不自由したことの無い人に貯金の大切さを説いても『はあ?』でしょうし、出来なかったことが出来た!という強い達成感を味わったことの無い人に努力の大切さを説いても、『努力なんて汗臭いこと、したくない』でおしまい、でしょう。(←いるんです、こういう人。私の知り合いに。努力して達成出来なかったらすごく傷付くからイヤ、が、その心のようですが……)。
でも、お金が無尽蔵にある人はまずいないし、努力というか挑戦を一切しないでいると行き詰まって、結局あまり楽しくない人生になる気がします。もちろん、大きなお世話ですけど(笑)。
そこで苦悩と向き合う、とか、自分と向き合う、とかになったらナウイズムの登場、となる場合もアリ、ですけど、悩んだことのない(というか、悩みと正面切って向き合った経験の少ない人)は、悩みを責任転嫁することで解決する……になりやすいんじゃないのかな?と。その方法で解決する癖がつくと、なかなか……根本的に解決する習慣がつかなくなる気がします。
悪いのは私じゃない、周りにいる誰かさんのせい、環境のせい、社会のせい……いやまあ、そういう部分もありますケド、悩みを作り出して苦しんでいる主体は自分、とは、なかなか認識出来ない。『悪いのは私じゃない』と思い込んでいるから、あなた自身の中に問題がありませんか?問題を作り出していませんか?と問われても、絶対認められない。
ナンだかエラソーなこと言ってマスが、私もご同様の部分、もちろんあります(苦笑)。
とりとめないですが、そういう状態の人に心の話をしても、『変な宗教』以上にはなかなか思ってもらえないのかもしれませんね。
悪魔の脚を洗うように(『次郎物語』の朝倉先生の談話より)、ひとりひとり、地道にやっていくしかない。
改めてそんな気がしました。
道のりは遠いですが……絶望は感じません。
私はそう思います。
運べられなかったか
放棄されている
運ばれた後は残っているが
運ぶ人は不在
無意味なのか
実存は無意味なのか
だが
それでも
運ばれる
時
人を
待つ砂利なり
静止した砂山に
天道虫が止まり
静止した時が溶けはじめる
砂山世界で
唯一有機(勇気)生命体である
天道虫が
命瞬く7つ星の羽根を羽ばたくと
天の道が開かれる
命瞬く7つ星の羽根から
命の源、生命波動が噴霧されると
砂山にひしめく
無限大数の砂粒宇宙が目覚め
いっせいに想像(創造)を絶するビッグバン!
未知空間に無限大数の
砂粒宇宙が散らばり
円相螺旋展開をはじめる
壮大なる無限大数
砂粒宇宙群の
誕生だ☆♪
真鹿子(まかこ)
拙い詩ではありますが、
hasunohana様の
素晴らしい詩☆に
触発、刺激を頂きまして、
誕生させて頂きました。
のしてんてん様
hasunohana様
のしてんてん喫茶室に
集われるみなさま
有り難うございます♪
感謝申し上げます☆
まかこ 拝
砂粒のような
一つの命にさえ
とどまることを許さない
時は疼く
山積みされた砂粒の
指から零れ落ちる
その隙間にさえ
甘い摂理を残して
時は夢を写す
一陣の風さえなく
ふるえることさえ許されない
砂粒の哀れや
まだ来ぬ年を数える
飛翔せよ
時を駆ける馬の
頭を押さえ目をふさげ
三態に変化する川をはるか
我が足元に侍らせよ
ちりあくたの一粒にさえ秘められた
無量大数の命を
この胸に納めて
今日は一段と、顔色もよくなりましたね。
「黄泉の国より」は、私が実際に見た生々しい夢が発端で、今もその夢の風景と感触を覚えています。
しかし第二作は、私が書こうとした作品で、今から思えば、己の意志などちっぽけで、すぐに枯れてしまったというのが正しいかもしれません。
ところでむっちゃんさんから次郎物語が聴けるのはうれしいです^ね^
朝倉先生の言葉は私の胸に沁み込んで漂白剤でも取れそうにありません。
悪魔の足なんど洗ってやったって、すぐに汚してしまう。
そう思うのは時間思考なんですね。そこからあきらめにつながる。
しかし、一粒の泥でも洗い流してやればきれいになる。
そう考えるのがナウイズムなのです。真実だけを見る。
朝倉先生の教えでもあるのです^ね^
ところで宗教談議、いろいろ考えさせられる言葉があって、喫茶室も活気づきます。
いづれむっちゃんさんの言葉を借りて、宗教談議もしてみたいと思います。
今日、個展準備で写真整理をしていましたら、昔、全興寺個展にご家族で来ていただいた写真が出てきました^よ^。
子供さん2歳か3歳のころ、^か^わ^い^い^
幼児が少年になったように、少年が若者になるのもすぐ、でしょう。
かーちゃんかーちゃんゆーてる少年も、すぐに彼女のことで頭がいっぱいになるでしょうね。
……そーでないと困ります。
いつまでも、あると思うな 親と金(笑)。
サルバドール・ダリの絵には、何故アリが群がっているのか?
評論家は、死体に集まるアリのイメージとか言ってましたが、当のダリは「自分にも分からない」と。
ダリは、そこにアリを描きたかっただけ。そこには、フロイトはいらない!
と素人ながら思う次第です。
何時の愚詠(一応31文字短歌です。)
題:恒河沙
ガンジス川の砂を一枡掬ったら7つ星が停まっていた
(絵を見た私だけの感想短歌です。屏風絵和歌として1000年以上の歴史が有ります。)
幼すぎると親からの一方通行が多いし、中学になるとそろそろ疎んじられ会話が少なくなっていく。
良き時間を過ごしてください^ね^
評論家は何か言わなければならないので、どうしてもそこに理由を考えます。
しかし作り手に理由などないのです^ね^。
自閑さんのお考えの通りだと思います。
確かピカソの話しだったと思いますが、なぜこんな絵を描くと聞かれて、鳥はなでなくかなんて考えて鳴いていないと言ったとか。
世界の巨匠を引き合いに出しておこがましいにも程がありまっすが、私のてんとう虫もそんなんです。それが学芸員さんの前で評論家になって恥をかいたお話でした。
その恥が、自閑さんの短歌に慰められました。ありがとうございます。
7つ星 てんとう虫から 北斗星