気温もようやく秋らしくなり、花も8分咲きというところでしょうか。
毎日見る度に花の数が増えて行きます。
それは9月の終わりごろでした。
はじめて花に気が付いたときから↑
こんなふうになって、↑
一斉に咲き始め、
茎が骨っぽくなって来て、
今朝はこんなに賑やかになった。↑
カメラを引くと?
まるでラグビーのスタジアムの様。
さらにカメラを引くと、
こんなところです。
沿道の畳2枚ほどの空き地。
小規模ながら毎年この見事な群生を喜び楽しみつつ、誰かの手がかかっているはずと思っておりましたら、今回その疑問が氷解しました。
この不思議をつい口に出したら、それ私と、近所の住人。花が枯れたら、刈り取って種をばら蒔いておくのだそうで、思わず感謝いたしました。
ちょっとした人の行いが、見ず知らずの私のような者の心を長年楽しませてくれていた。そう思うと秋の陽だまりのようなほこほこした気分になる。
何でもない風景の中にいても
確実に私達は知らない誰かとつながっているのですね。
あの時は道添にコスモスが結構咲いていました。
コスモスは今でも好きです。
地球の反対側に咲くコスモスも同じです。
どうやって飛んできたのでしょうかね。
とにかく、道端に咲いたコスモスを撮った
のしてんてんさんの視点が
どっか詩的風で
なんだかせつなくなりますね。
ひんやりした風がコスモスに似合う。
そんな感じが、
せつない思いにつながるのかもしれません。
満開の華やかさに心が奪われ思わず見とれてしまうのですが、
花の一つ一つを見たら、はかない弱々しい印象もあります。
弱いものほど強い、そんなことを思わせてくれる花だと思ったりもします。
地球の裏側に咲いているコスモスを連想しましたら、もうこれは宇宙(コスモス)です。
丸い球の上に立っているという実感かな?