『ウィトルウィウス的人体図』
古代ローマの建築家ウィトルウィウスをもとに描いたレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な人体図である。
これはダ・ヴィンチが試みた人体と宇宙の総合的な理解ではないかと思っている。
背景の円や正方形を見ると、人体を介して見事に円と方形がつながっているのである。
私の考えでは、この正方形が物質を表し、円は空間を表している、人体はその二面を持って存在しているのだ。
前回に引き続き五次元宇宙モデルの話であるが、冒頭にレオナルド・ダ・ヴィンチの図を持ち出したのには理由がある。
それは五次元宇宙モデルそのものが、人体と宇宙の融合を理解するためのものであり、それがどこかでこの人体図と共有できるような何かを感じていたのである。
実は今回の作画作業の中で、ある重大な驚くべき発見をしたのだ。それはこれまで、この人体図を見るたびに感じていた一種のなつかしさのようなもの、それが何であったのかを知らしめる発見であった。
それを発見した時の驚きを伝えるのは、体験していただくのが一番いいだろうと、冒頭に引用したダ・ヴィンチの人体図なのである。
さて前回、五次元宇宙モデル作成に当たって、以下の作図をした。
ダビンチに比べようもない稚拙なものだが、これが五次元宇宙モデルの下図である。五芒星がしっかり人体を表してくれて、しかも図は横に広がるより奥に広がる感じを伝えてくれる。これがスケールの概念を表現するための素晴らしい図案だと考えたのである。
PCを使って作画し始めて、私は偶然にもレオナルド・ダ・ビンチと共有する、ある意識に気づいたのだ。心惹かれるあの懐かしさのようなものの秘密と巡り合ったのである。次の図を見ていただいたら分かっていただけるのではないだろうか。それが次の図である。
五次元宇宙モデルのために描いた図をダビンチの人体図の上に重ねたもの
この素晴らしい偶然を堪能していただいたら幸いである。
しかし実は偶然ではないのである。
いくつかの点でダビンチの人間と宇宙館が五次元宇宙モデルと同じだからこそ生まれた必然だと私は思うのだ。その最大の点がヘソである。
人体に通じたレオナルドにとって、ヘソは人間が永遠に宇宙とつながっていく場所であることを知り抜いていたはずだ。そんなレオナルドが考える宇宙は言うまでもなくヘソを中点にした円であろう。宇宙を表す円の中心点にヘソを描いたのは決して偶然ではないのである。
そしてそのヘソに向かって、五次元宇宙の五芒星が吸い込まれるようにスケールの星を連ねていく。これがスケールの概念なのである。レオナルドの宇宙観がヘソに向かってスケールを変えながら連なっているのだ。
一方、宇宙の中心をヘソと見たレオナルドであるが、人物を物質として見た時、その中心は生殖だと考えたその証拠もある。それは背景の正方形に対角線を引いてみたらわかるだろう。その交点に生殖器が描かれているのだ。正方形はまさに物質を表しているのである。
しかもレオナルドの円と正方形は、人体そのものの配置を基に描かれているのは明らかだろう。人体の形態それ自体が、宇宙空間と物質という二面性を表しているというレオナルドの洞察がこの図には描かれているのである。
人間は宇宙空間の中でヘソとつながっている。一方空間の中で物質を構築して人体を作っている。それを継承しているのは生殖に他ならないのである。
つまりレオナルドの人体図にある円を空間、正方形を物質と読み替えると、五次元宇宙モデルは完全にレオナルド・ダ・ビンチの人体図と融合するのである。
そもそもこの五次元宇宙モデルに至った理由は前回にも触れたが「私」、すなわち人間とは何かというという問いかけであった。
「人は何処から来て何処に行くのか」というゴーギャンが投げかけた永遠の問題を解くためにそれは必要だったのである。つまりこの問いに応えるためには、まず人は何処に立っているのかを知らなければならない。己を知らなければ問題を考えることさえできないからなのである。
そして古来人間は、自分の起源を考え続けてきた。レオナルド・ダ・ビンチもまたそうだったのである。
私たちの形は、五芒星に酷似している。その胴体にあたる部分に無限に現れてくるスケールの異なる五芒星は最も適切にスケールの世界を表してくれているのである。
五次元宇宙モデルはこの五芒星を全くそのままに描いた図なのである。
その過程をもう一度振り返ってみよう。
① 部位=人体の図
これはスケール1倍の図である。ダビンチの人体図そのもの。これは実際の人体図の上に描いた緑の五角形の中にある赤い大きな五芒星に対応した六つの黒丸である。つまりこの図では一つの黒丸は人体を構成している部位(頭、胴体、手足)を表しているのである。
② 細胞⇒(部位=人体)の図
これは①の赤い五芒星を起点にして、つまり人体図の胴体を表す五角形の中にある青い五芒星のスケールから見た世界なのである。図案として見るなら一つの部位を6分割したスケールで表した人体なのであが、これをモデルとしてみれば、細胞が集まって部位が出来ていることを表している。つまりひとつの黒丸が細胞を表しているのである。この図は人体を細胞の集まった世界として見ているのだ。部位を構成している細胞のスケールで見た世界ということになるのである。つまりこの図の黒丸は細胞を表し、人体は細胞がこのように集まって出来ているということになるのである。
③ 分子⇒細胞⇒(部位=人体)の図
この図はさらにスケールの小さな世界から見た人体である。人体図の上に描いた赤い五芒星の中にある青い五芒星。その中にある小さな赤い五芒星。その五芒星の胴体に描いた黒丸のスケールで描いた世界である。この黒丸は細胞を作っている分子を表すことになる。これは分子の大きさを1として見えている人体なのである。
④ 原子⇒分子⇒細胞⇒(部位=人体)の図
同じ要領で、スケールを分子の大きさから原子の大きさで人体を表した図である。ダビンチの人体図のヘソほどの大きさの黒丸。大事なのはこの小さな黒丸にも、それに対応する五芒星が現れるということである。つまりこういうことなのだ。五芒星は無限に現れてくる。そのつらなりを想像するところにスケールの概念が生まれるのである。私達はこの概念によって、スケールの連なる世界を簡単に思い描くことが出来るのである。ともあれ、この④図では、人体を原子のスケールで眺めている世界を象徴していることになるのである。
⑤ 素粒子⇒原子⇒分子⇒細胞⇒(部位=人体)の図 あるいは最終図
ここに現れた黒丸は④で描いた丸を六つに分割したものである。この点の大きさをダビンチの人体図の上で探すと肉眼で見る事のできるギリギリではないだろうか。実はここに宇宙モデルの一つの意味が現れる。それはこれ以上黒丸を分割していっても、現れる図はほぼこの⑤の図と同じ図柄に見えるのである。
なぜなら、これよりさらに小さな黒丸は、一つひとつを確認することがむつかしく、分割した六つの黒丸は見た目一つに見えてしまうからである。したがってこの⑤図が五次元宇宙モデルの最終図となるのである。
そしてこの最終図は、現在科学の見る世界観と一致している。
すなわちこの最終図の黒丸は、化学が実証する素粒子に匹敵するのである。この図は人体を素粒子のスケールで眺めた世界を表しているのである。我々の身体はこのように素粒子が集合してできていると言えるのである。
しかしこの図はこれだけでは終わらない。そこに五芒星の力があるのである。
どういう意味かと言えば、どんなにスケールを変えて現れてくる黒丸でも、必ずその黒丸を胴体にした五芒星が現れるという事実なのである。
つまり黒丸を胴体にした五芒星とはそのままそっくり人体と置き換えることができるということなのだ。
この最終図は、一個の人体を無数の黒丸の集合した姿で表したものであるのと同時に、一つひとつの黒丸自体を一個の人体として見る事で、人体の取り巻く宇宙を想像させることが出来るのである。
したがってこの⑤図(最終図)で言うならば、一個の人間の身体が素粒子宇宙であるという見方と同時に、黒丸を一人の人間と見た場合の宇宙の姿を現しているということになるのである。この大宇宙は、無数の銀河が集まって出来ているのである。その銀河は無数の惑星が散らばり衛星を従えて系を作っている。その中の一つに太陽系があり、地球があるのである。我々人間はその地球の上に立っているのである。この最終図の一つの黒丸は、大宇宙の中にある私=人間の位置を表しているということが出来るのである。
すなわちこの五次元宇宙モデルは、全体を1とみるか、黒丸を1とみるかによって、スケールの世界を極小に向かう世界と、極大に向かう世界に導くことができるのである。
さらにもう一点付け加えるなら、この五芒星を下敷きにした宇宙図は、その中心に向かって無限の五芒星を実感することができる。これは完全な宇宙のフラクタルモデルなのである。
宇宙は、
「素粒子」⇔「原子」⇔「分子」⇔「細胞」⇔「組織=人」
というつながりをスケールを変えながら無限に同じ形を繰り返すフラクタル図形として理解することが出来るのである。
さらに人は地球の上に立っている。
フラクタル図形であるということは、この地球が素粒子と相似であるということを意味する。
地球∽素粒子、これらが相似なら、この宇宙モデルから以下のような世界観が生まれてくるのである。
五次元宇宙モデルが表すフラクタル図は、このようにスケールの世界を思い描くことが出来るのである。
最も重要なことはこのスケールの概念は同時に成り立っている実在の世界を思い描いているということであろう。
幾重にも存在しているように見えるが、実は一つの存在であることに注意を向けたい。
次回はこの五次元宇宙モデルを使って、物質と空間の関係を考えてみたい。
申し訳ありません。