不思議なことだが、これが私の初めての経験だったと思う。
突然襲ってきた無気力に抵抗しなかったのは。
心のどこかにそれでもいいという、そんな気持ちがあった。あきらめではない。何か安心感のようなものだった。
何もする気が起こらなかった。ダメ人間に陥った自分になぜか不安は起こらなかった。そしてそれだけを見つめ続けていた。
何もかもが意味のないもののように思え、体の衰えも加わっての無気力が見えてきた。
三日も見続けていると、全てに意味はないという思いは、私自身が真実に行き着いた証しだと思えるようになった。
事実、すべてに意味などないというのは完全な真実なのだ。あるのは意味ではなく存在そのものだ。
意味とはただ、自我に都合よくつくりだしたものだ。その虚構が見えてきた。
私を襲った無威力は、その自我が割れ始めた吉徴ではないのか。
自我は、卵の殻のようなものだ。あるいはさなぎの繭かもしれない。
人は、いずれその殻を脱ぎ捨てて真実に入っていかねばならない。
無気力の中で生き続けているこの命がある。
その呼吸と鼓動が見えた時、づっと見続けていた無気力が見えなくなったことに気付いた。
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