のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

ナウイズム 二人展 間﨑学&北籔和 (6)

2017-04-13 | 展覧会

修羅場(2017年1月27日)の記事に書いた作品です

この時私は制作の半ばで、作品の構想が完全に崩れ去り、心が闇の中に投げ込まれたような経験をしました。感性が計画した目標を、その感性が自己否定したのです。どこに行ったらいいのか分からない闇の中の混乱でした。その時私の感性はNO!を叫び続ける、まさに修羅場だったのです。

 

 

 

「根源現成と五次元」

この二つは実は密接な関係を持っているのです。

前回、「東西美術史」の論旨の中に、ただ一点の誤謬があることを指摘いたしましたが、根源現成の思想はそんなことで揺らぐことはありません。この根源現成は芸術の世界から見事に五次元宇宙を視野に収めているのです。

 

 

まず「東西美術史」からの引用です。

これは、東洋における美術家の主体とは何かという問題を論じた部分です。つまり美術家はどういう状態で絵を描いているのかということです。↓

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美術家の主体は、東洋にあっては、対象すなわち客体を造形し形成する造形主体ではなくなく、主客の対立を絶する根源的主体である。「無相なる自己」「無的主体」である。他に対する自ではなく、自他不二なるもの、二なき一である。自他・内外・物心・生死の別なく、主客未分以前「有無の分・未分すらなく、有無とさえいえない根源」(柳宗悦)である。己を忘れ、己を脱けて、自己の根源へ深められ、絶対的なもの・普遍的なものへ高められて、もはや自我のない、深位の、あるいは高次の自己である。万物万象の、万有の根源へ、絶対無へ立ち帰った自己である。独創的・天才的な個性ではなく、自己自身の根底へ、無へ立帰った本来の自己である。

この「無なる我」はしかし、どこにもないのである。ないからこそ無である。自我の対象でないから意識の対象にならず、対自にならず、言説を絶するもの、説明することができないものである。主観的にも客観的にも、どこにも捉えることができないものである。ただ主体的に「随所に主となる」とき、いたるところに自得される。その意味では、どこにでもあるものである。

これは禅宗における絶対主体道であり、浄土宗における他力本願でもある。仏教それ自体の本旨であろう。

(中村二柄:東西美術史 岩崎美術社 P467 2~13)

 ----------------------------------------------------------------

 

ただ主体的に「随所に主となる」とき、いたるところに自得される。その意味では、どこにでもあるものである。

この記述を五次元に照らしてみたとき、それはまさにスケールの各場に主体は存在しうるといっているのと同じことなのです。

もちろん二柄先生が想定されている風景の中には、スケールの概念が具体的に意識されてはいなかったかもしれませんが、意識するしないにかかわらず、その概念は存在しており、無化した主体を思い描いた時点でおのずと現れ出ているのだと、私は思います。

主体が無化して宇宙と一体になったとき、その主体は自分の立っているスケールを越えて、あらゆるスケールの主となる。つまり私たちは神ひとの視点からでも、素ひとの視点からでも、あるいは素粒子や太陽の視点からでも、それぞれのスケールの主となって世界を見ることが出来る。

つまり、主体とはまさに五次元のスケールの軸そのものであるということを暗示しているわけです。

実際、私の考えから言えば、五次元の五つの次元は、物質と心という二本柱からなっており、物質を存在させる三次元に、心の次元である時間とスケールの次元を加えた世界観なのです。

物質の世界は空間ですね。空間は3つの方向(次元)によって規定されます無限の広がりなのです。そして物質は、極大から極小に至るすべてのものがこの空間の中に浮かんでいるわけなのですね。

つまりそれは、こういうことになるのです。

つまり、実在とは三次元でこと足りていると。

 

この三次元に対して、人間の心がそれを様々な風景として眺める。その際に使う道具が二つの概念。すなわち時間の次元とスケールの次元というわけです。

時間とスケールは心の中に下図のような座標を作ります。

 

このうち時間の次元は周知のとこですし、物質の次元に時間を加えた四次元は20世紀に入って完全に定着した概念といえます。図で言えば、両手をひろげた左右、過去と未来そしてその中心にある現在。その各所から眺めた風景が四次元の世界という訳ですね。「東西美術史」の中でも、キュピズムに時間の概念を取り入れた絵画が紹介されています。

 

しかしそれだけでは、東洋の美術にある根源現成には達し得ない事を二柄先生ははっきり言明しているわけです。

なぜなら、キュピズム絵画の主体が眺めている風景は、現在の己のスケールに留まったままの風景であり、その意味で自我の求めに従っただけの絵だという訳です。

根源現成とは時間を越えたところにあって、しかも無なる主体の中ではじめて実現できると論じるわけですが、その記述を無理なく受け止めることが出来るものが、スケールの次元なのですね。

それは上の図の縦の軸です。時間軸の現在で交わり、極大~極小に向かうスケールの軸なのです。スケール軸は現在という実在の世界から動きません。動かないというよりも、実在=根源として、宇宙の存在のその中心を貫いている、まさに宇宙生命の根源なのです。

スケールの次元は、いまだ社会に認知されておりませんが、実際には私たちの感覚の中に存在しています。例えば、ガリバー旅行記や、映画ミクロの決死圏など、スケールの感覚は文化として根付いています。

スケールの次元は、けっして一個人の単なる思い付きではなく、人間の心を構成する重要な柱なのです。

つまり心の次元は、時間の次元とスケールの次元をx軸とy軸とする座標として理解できる二次元平面なのです。

時間を越えた心の次元、あるいは無なる主体とは、まさにこのスケールの次元を垂直に移動して世界を眺めているというわけなのです。

実際、スケールの次元は、数年来すでに私たちが何度も見てきましたように、空間を唯一無二の存在だと認識させてくれる概念ですから、それは二柄先生のイメージされる世界と100%重なると思えます。

それこそが根源現成の正体といえるのです。

結局のところ、

二柄先生の提唱する美術の主体とは、まさに五次元宇宙のスケール軸そのものなのですね。

 

ところで、冒頭私の作品と制作過程の体験を書きましたが、今回それに触れながら私の結論を書く余裕がなくなりました。それは次回に。

 

 

 

 

 

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6 コメント

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☆はにかみ泣き笑い♪ (真鹿子(まかこ))
2017-04-14 13:53:19
のしてんてんマスター

こんにちは!

今日は小さな小さなお花見☆

お抹茶と桜餅をどうぞ♪

一緒に頂きましょう

のしてんてんマスターは
桜餅の葉っぱ食べる派ですか?

わたしは断然!
桜餅の葉っぱ食べる派で^す^

あの甘塩っぱい
はにかみ泣き笑いのようなお味
なんとも☆いいですね♪


さて、のしてんてんマスター(笑)


私たちは、三次元、四次元の流れの世界で
生命活動をしておりますが、同時に、

本来宇宙同根多種多様万物一体の存在

宇宙細胞の極小細胞ではありましても、

宇宙のフラクタル極小宇宙でもあります。

まさに宇宙と一体なる存在

限りなくミクロから限りなくマクロに至るまで

まるごと一体なる存在

ですから宇宙が95%未知領域であるということは、

私たちもそれぞれ95%未知領域であるということなのでしょうね。

宇宙と一体である私たちは、

この宇宙神秘エネルギーの無限力を頂き、

95%未知領域を開拓して行く力も、

天与されていると、強く信じています!

天からのプレゼント!

今が今あることこそ奇跡☆

天からのプレゼント!

今常に好機到来絶好調☆

ピンチなおさらピンチはチャンス!

好機到来絶好調☆

のしてんてんマスター!

自慢ではありませんけれど、

私は常にピンチ!好機到来絶好調

火事場の超力マグマ状態です^よ^;;


いつもインスピレーション喚起の貴重な記事、

真摯な熱情をありがとうごさいます。

午後からも素敵な時をお過ごしくたさいませね☆


感謝感激∞8∞八方拝で^す^!
返信する
ありがとうございます私^も^ (のしてんてん)
2017-04-15 14:40:02
桜餅のお土産ありがとうございます。

そうなんです。私も葉っぱ戴きます。時々軸の硬いのがあって、さすがにそれは出してしまいますが、

さすがにまかこさん、

「はにかみ泣き笑いのようなお味」は鋭い感覚ですね。

このことばに触れて、今までの私の思いが氷解した気分になりました。

淡い春の哀愁のような、複雑な気分をよく現わしていただきました。

そんな思いでいただく桜餅、格別ですなぁ

ところで、究極のフラクタル宇宙野菜、ご存じですか?

もしご存じないならびっくりすること請け合いですが、

まかこさんならご存知かもしれませんね。

ではでは、
返信する
『曼荼羅フラクタル一筆書きを目指して』 (真鹿子(まかこ))
2017-04-17 07:10:14
のしてんてん様

おはようございます!

只今目指しております。

☆五芒星、六芒星、曼荼羅フラクタル一筆書き♪

まずは、五芒星、六芒星の一筆書きに集中しておりますが、
六芒星の一筆書きは検索先から学ばせて頂きました。

正三角形Δのちいさなピラミッドの底辺の
向かいまして左の頂点が起点であり終点である一筆書き♪

まずこの小さなピラミッドを頂上部としまして、
正三角形の大きなピラミッドをつくるのですが、

私の場合、ここで一旦、一筆書きから離れまして、
この小さなピラミッドが作る大きなピラミッド注目!


頂上部の一段目は、上向きピラミッド1つΔ

二段目は上向きピラミッド1つΔ、逆さまピラミッド1つ∇、
上向きのピラミッド1つΔの、計3つのピラミッドΔ∇Δ

三段目は、上向きピラミッド1つΔ、逆さまピラミッド1つ∇
上向きピラミッド1Δ、逆さまピラミッド1つ∇、上ピラミッド1つΔの
計5つのピラミッドΔ∇Δ∇Δ 


結局大きなピラミッドは、

逆さまピラミッドが3つ∇∇∇と上向きピラミッド6つΔΔΔΔΔΔ
合計9つのピラミッドΔ、Δ∇Δ、Δ∇Δ∇Δで出来ていました^よ^


そして、この9つの正三角形のピラミッドの中には
当然なのかもしれませんが、
六角形が内包されていて、驚きました @_@☆♪


やはりピラミッドも、六芒星とは切っても切れない
神秘深遠なる関係なのですね☆

一筆書きも不思議ですが、

それ以前に、ピラミッドと六芒星の一体性を
体感させていただき、感動いたしました。

また、六芒星の一筆書きをしていますと、
六芒星のかたちと気が一体化☆言語では表現できない
不立文字の境地に至りますが、
六芒星エネルギーを頂いているのでしょうか、
たいへん清々しいですよ

のしてんてんさんにもお薦めで^す^

いつものしてんてん力をありがとうごさいます♪

今日も新鮮な善き日をお過ごしくたさいませね☆


感謝感激∞8∞八方拝です!



 
返信する
面白いですね (のしてんてん)
2017-04-17 10:08:10
線を引くというのは単純ですが

案外基本的なものがすべて含まれていて、身体を動かしたり、声を出したり、音を出したりするようそがあります。

ピラミッドは、精神的な作用もありますし、

続けていると、きっと新世界が見えてくるかもしれませんね。

私もがんばります^よ^
返信する
線引きの引力 (真鹿子(まかこ))
2017-04-17 15:50:16
そうですね♪

引く線と気は一体化しますね

これはつまり引く線と全身全霊が一体化するということ。

継続は力なり

私も毎日少しずつでも、

五芒星、六芒星の一筆書きの線引きに邁進しま^す^

けれども集中しようとしなくても、

五芒星、六芒星の線引き引力すごいです @_@!

なぜか夢中になってしまって
時の経過が超高速


鉛筆タイムマシンにまたがって
飛んでる^の^?


 
返信する
まかこさん絶好調^!^ (のしてんてん)
2017-04-18 15:15:30
鉛筆一本で、長く絵を描いていますので、特にそうなのかもしれませんが、

線を引くというのは、紙の上に己をつくり出すことだと思うようになりました。

風景をなぞる線ではないのですね。

特に、五芒星や六芒星などは、自画像と言ってもいい自然の根源にある姿ですし、△はその最小の形です。

デッサンを残しておいてください^よ^

ひと月経って、その束を見返したとき、きっと奇跡が起こるでしょう。

五次元が見えるかもしれません。

手を地震計のようにして、
感性の動くさまをそのまま線にしてみる
そんなデッサンにも挑戦してみてください^ね^
返信する

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