喪中のはがきが届く季節になった。
ポツリポツリと届く新年の挨拶を辞する文面は読む気も起らないが、いっときそこに記された故人の名に思いをはせる。
その中に、私の友人の名があった。
私が本気で絵を描き始めた時から知っている数人の中の一人、心の友だった。
二人で山に登った。六甲山縦走が最初だった。山を知らない私にその素晴らしい世界に誘ってくれた。ペース配分を知らず、途中でへばった私の鼻先をハイヒールのような軽装の女性が登っていく屈辱もその時覚えた。目的の山頂まで行けず、六甲の斜面にテントを張って斜めにずり落ちながら二人で寝た。
それから、二人の山登りは発展して北アルプス、南アルプスと足を伸ばした。山頂で台風と遭遇し、テントの中で進退を話し合い、必死の思いで自力下山を果たした。職場では遭難かと大騒ぎしていたとあとから聞いた。
彼がいなければ今も、私は六甲すら登れない。
いつの頃か、疎遠になった。いつかまた山に登りたいという気持ちが彼を思うたびにあった。その日はあるかもしれない。私の心の中にはいつでも疎遠の親友の居場所があったのだ。
その友の名を喪を知らせる一枚の紙切れに見たとき、疎遠が永遠に変わった衝撃を感じた。
一枚の絵を描いている最中だった。
シャーペンで線をひき始めてやっと半分の行程にたどり着いた。ここから世界が見えてくる。キャンバスと鉛筆の線でしかなかったものが、突然一つの世界としての風景が現れる。その風景が私には山に登る心のように思えた。
今度は私が、友を連れて山歩きをしよう。このキャンバスの中で疎遠の友と向き合い、私の方から永遠に入って行こう。
友よ、また私と二人で山を登るのだ。
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