はるひ美術館による北籔和展(ナウイズムの夢)
2017/2/8~2/26
は、いよいよあと一か月となりました。
今日、美術館の学芸員さんが、わざわざアトリエ(パーソナルギャラリー瞑想空間)まで来ていただきました。
何せ制作三昧の日々、アトリエは足の踏み場もない状態。
前日は一日掃除と片付けで終わったほど。
これまで、メールのやりとりだけで、ご本人にあうのは初めて。
文面からは落ち着いた物言いを感じていましたので、勝手な想像をしておりましたが、
駅までお迎えをして、まっておりますと、
声をかけられ、振り向いた私の目に飛び込んできたお姿にびっくり。
想像以上にお若く、美形の笑顔。それが初対面となりました。
アトリエに入ると、茶を飲む間もなく、取材体制となり、制作趣旨や意図に話題が向き、私も調子に乗って、五次元、ナウイズムと、つい熱く語ってしまいました。
結果、二人の共通した認識が面白い。
「これ、変な宗教と思われませんかね」
「そう!そこが悩ましいんですよね」
へんなところで意気投合。
五次元のスケール概念、そこから生まれたナウイズムは、普通の人のための普通の思考だということを分かってもらうアピールも必要だと考えさせられました。
展示のメイン
組作品「ナウイズムの夢」の模型ピースはつくった甲斐がありました。
展示計画のプレゼンがスムーズに進み、理解していただきましたし、展示作業のシュミレーションも出来て、構想はかなり具体的なところまで決定しました。
いつの間にか3時間近く話し込んで、
「おそらく、はるひ美術館始まって以来のすごい展示になります」と確かに言ってくれたのか、私の幻聴か、思い上がりか、要するに舞い上がっていつの間にか時間がすぎたという感じで、
美人学芸員さんは帰って行かれました。
後味のとてもいい時間を共有できて幸せでした。
ありがとうございました。
あらためて御礼申し上げます。
さて、かようにナウイズム旗揚げ展の準備は進んでおります。
そしてこの日一番心に残ったのは
「これ、変な宗教と思われませんかね」でした。
ナウイズムが、茶の間の心のよりどころとなるのははるかかなたのようです。
しかしピンチはチャンス。
天国は狭き門から入らねばならぬのですから、
私の宗教観もどこかで書いておかなければいけないのでしょうね。
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ブログ内の関連記事
『これ、変な宗教と思われませんかね』に大笑い。
一年前、私が感じたのと同じ感想に思わず、いいねボタン👍、押したくなりました。
高校生の頃からマスターと知り合いで、マスターのひととなりを知っている教え子でさえ、ヤバいんじゃないの?と思ったくらいですから、大変ですね。なかなか……お茶の間の普通の知識に浸透しないでしょうけど、狭き門から天国へ至って下さいませ。
ではお身体に気を付けて、一歩一歩、歩んで行って下さい。
……それしかなさそうですものね〰。
さみしいやろなぁ~
或いは、物理学を表現する芸術家?
この前の5次元旅では旅支度や主催などで大変お世話になりました。
セレブな猫さんも救うセイバーの計画はまだOnですよね?
たまに、タブレット(英語ダウンロードしてない)でコメントする時ありますが、大丈夫そうですね。
宗教、であっても悪くないんですけど、現存の宗教の、カルトっぽいものの教えと被るイメージがあるかもしれません。
これは……宿命かもしれないですね。
一歩一歩歩んで行くしかない、と思うのはそこいら辺の感触からなんです。
私に解説して下さったように、皆さんへ語って下さい、マスター。
珈琲をいただきつつ、ツッコミを入れたり援護したり、させていただきます☺。
では、また。
古い年賀状を整理していて、マスターが昔、『黄泉の国から』の第二部を書きかけています、という近況報告の書かれたものを見つけました。
途中でヤになったのかもしれませんけど、もし情熱が復活したら是非書き上げ、読ませていただければ嬉しいです。
ヒロイン・アニーは癒しの歌姫として大活躍、とか、ゲッペル骸骨将軍の、骸骨になる前の話とか……。
余裕があれば、お願いいたします🎵
超真面目に答えますと、「私にもわからない」
照れながら答えますと、「芸術家」
SF調冗談で答えますと、「宇宙物理もどき」
お愛想で答えますと、「物好き」
お気に入りは、「探求者」
真実を知りたい。そんな思いが私を動かしているように思えます。
実験箱から哀れな猫ちゃん救出劇。オンエア中。心のチャンネルでご覧ください^ね^
それにしましても、英語を実用出来る方がうらやましいです。
世界中を飛び回る自由の羽根ですね。
一部は歌が主題でしたので、今度は絵を主題にと意気込んだ時代がありました。
結局あれ、途中で消えましたね。
心に盛り上がっていた物語が、なにかにつまずいて潮が引くように消えたのを覚えています。
聖堂にかかる一枚の絵を思いついたのは良かったのですが、ちょうどそのころ正月だったのでしょうね。
それにしましても、私の創作はいつ起こるか分かりません。起こったら一気ですし、消えることもあります。
この身体、神様に貸し出していますので、すべて神様次第です^ね^ぇ^
当時の原稿もどこかにあるでしょうが、今や奈落の底でしょう^ね^
私は個人的に、マスターがつむぎだしたお話の中で『黄泉の国から』が一番好きですので(ストーリーも世界観も)、続編があるのなら読みたいのですけど。
神様のご機嫌次第となると、しょうがないですね〰。
気まぐれ神様のご機嫌が向くのを、気を長くして待つだけですね(笑)。
昔読んだ
アンドレ・ジッドの「狭き門」を思い出しました。