(鉢植えサイズの白梅、もう盛りを過ぎてしまいました。)
{問}空間の研究を提言されています。研究が進めば皆がしあわせになると書かれていますが、万人をしあわせにする科学(学問)というものがあるのでしょうか。何か危うい気がします。しあわせは個人の問題だと思いますが、科学でつくるしあわせというのはどんな幸せですか。
{答}もし科学が万人のしあわせをつくりだすと言い出したら、こんな危ういことはありませんよね。そんな科学者が現れたら胡散臭い臭いがします。私も質問の趣旨に大賛成です。
そうです。空間の研究が万人のしあわせをつくるというのは、つまり誤解だと思います。私のこれまでの話の中でそう思わせてしまうような記述があったのだと思います。申し訳ありませんでした。
次元というのは、認識するための道具です。これを例えて言いますと、こんな感じになります。
0次元の人間は素足で歩き、1次元の人間は自転車に乗る。2次元ではバイクになり、3次元は自動車、そして四次元は飛行機です。私の提唱する五次元はロケットというわけですね。科学の研究はロケットをつくりますが、パイロットのしあわせをつくることはありませんね。
しあわせは、道具を使う個人の問題であり、それを尊重することは何より大事なことだと私は思っています。人にしあわせを押し付けることは犯罪に近いのです。
どこで誤解が生じたのか、
その点をすこし書いてみたいと思います。
この図は、五次元宇宙に生きる人を視覚化したものです。この図の意味は空間(三次元)の中にいる人間が時間軸とスケールの軸を用いて世界を測る仕組みを表しているのです。ここに見える空間は、今私たちを包んでいる空間そのものを意味しています。
四次元に生きる現在人は、横の軸で表された時間の流れの中で生きています。この時間の概念は社会を発展させましたが、同時にたくさんの苦悩をもたらしました。たとえば、死の恐怖は未来にありますし、ぬぐえぬ過ちは過去にあるように、その苦悩のほとんどは時間軸の上に存在しているのです。
しかし五次元は、現在を中心に極大、極小に向かうスケールの世界ですから、このスケールの次元に目を向ければ時間の流れは止まります。スケールの軸に沿って動けば、時間はゼロのままということは図を見ればわかりますよね。つまり私たちは時間から解放されるのです。それはつまり、時間が生み出している苦悩が消えるということを意味しているのです。(もちろんそれは同時に、社会の発展を妨げるかもしれないリスクを忘れてはいけません。しかしこの議論は別にすることにします。)
そしてこの図は、五次元宇宙のシンボルマークです。この図の表していることは、スケールの軸から見た物と空間の関係です。すべての物は空間に浮かんでいて、小さな粒が寄り集まって大きなかたまりを創っていくという、五次元の宇宙観をイメージしたものです。この図の白地が空間ということですね。
四次元思考では、世界を知るということは物を見る事であり、物を研究することでした。なぜなら時間の概念は、物の変化を基礎にして成り立っているからです。そして物を意識する限り、自分は世界から切り離されている孤独感を持ち続けることになるのでした。
しかし五次元思考は、時間から解放されるために、人の存在は図のように永遠に宇宙と同化します。そこでは人は物であるという意識そのものが逆転して、人は空間であるという意識が生まれる可能性があるのです。人は空間の中で宇宙と一体化することが出来るわけです。孤独は昇華されて神と同化する至福へと変わる。
これが五次元による、しあわせの形なのですが、誤解はここから生まれたのかもしれません。
つまり、私が推奨する空間の研究は、人間が五次元を得るために有用だと思うからです。しかし、五次元そのものがしあわせなのではありません。五次元はあくまで世界を認識する道具だということです。
その道具を使ってしあわせをつかむのかどうかは、使う者の力であって、科学ではないのです。
ロケットを乗りこなすのはあなたの感性に頼るしかないのです。
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