{問}「私」は神の中にいて同時に「私」は神だというのはよくわかりません。五次元宇宙というのは宗教なのですか。
{答}五次元宇宙の構造を説明するために、「神人かみひと」、「ヒト」、「素人もとひと」という言葉を使いました。これは私の造語です。これをつくった理由は、五次元宇宙を説明するのに便利と思ったからです。もちろんその存在が神のイメージに近いということもあります。
また「私」は神だと言う場合も、「私」の中に存在する素人から見れば、「私」の体は神人にあたるという意味で使ったものです。図を見て頂ければわかるように、これらはスケールが違うだけで、ヒト=「私」と同格なのです。
ですから、確かに神という言葉を使っていますが、のしてんてん系宇宙は神秘的な神を扱うような宗教ではありませんし、まして、一神教でいうような全知全能のスーパースターを意味しているのではないのです。あえて言えば、科学に近い理論と言えるかもしれませんね。
しかしまた、「私」は神だというとき、単なるシステムの中の構造物というとらえ方をしていないのも事実です。これは神という言葉のとらえ方の問題です。微妙な問題を含んでいますので、以下、私の考える宗教と神についてお話します。
神と言う言葉で私が伝えたいことは、この自然が存在する真実のことです。宇宙や素粒子をつくっているこの自然界のありのままの姿を神と呼ぶのです。天の神、地の神というような、素朴な自然信仰などはある意味近いかもしれませんね。
ただ、私が、宗教ではないと言い切るのには理由があるのです。それは先日のQ&Aにも同じ意味のことを書きましたが、こういうことです。
宗教で扱う神という存在は、世界を創造した絶対神とか、守り神、救いをもたらす神というように、人間を超えたところに神があると云う考えに基づいていますね。人間は神によって生かされている。人は神と契約を結ぶか、戒律を守るか、いずれにせよ差し出された義務と幸福を無条件に享受する。これが信仰ですね。
けっしてそれを悪いというわけではありませんが、私はその「信じなさい」という世界を自分の力で観たいのです。信じれば救われる。それもいいのですが、しかし信じなくてもいいほどに真実をこの目と心で観てみたいのです。
その真実をもっとも大きな領域で観ることのできる座標がスケールの軸なのです。この新しい次元を手に入れることで、今まで神という言葉でしか説明できなかった真実の世界を自分の認識の力で観ることが出来るかもしれない。そう思うのです。
世界を認識する道具(次元)が一つ増えるということは、今まで見えなかったものが見えてくるということです。今まで四次元では見えなかった世界を五次元の人類は見ることが出来るのではないか。私の言いたいことはたったそれだけのことなのです。
五次元思考はそのための道具だと理解していただいていいと思います。
光速で動いているエネルギーだけの初期宇宙から、内に力をため込んで物質が生まれ、その物質が互いに反発したり引きあいながらひとつの集団をつくり、それが生命体となる。やがて最終的に物質の最高の構造物である、頭脳が生み出されたのです。
この最高の構造物は、物質に頼ることなく直接空間に働きかけ、エネルギーを操る能力を持つようになる。それが認識の力だと私は思います。その進化の過程で、人間は一つずつ次元を手に入れてきました。それが人類の発展の歴史に対応しているのではないでしょうか。
次元(認識の道具)はそれほど大きな働きをするものであり、今人類が時間を使いこなすように、スケール軸を使いこなす時代がくれば、新たな人類の発展があると思いたいのです。
重ねて言いますが、私は宗教を否定するものではありません。むしろ宗教は五次元思考の中で発展して、人類の大きな役割を果たすようになる。そう思えてなりません。
分かって頂けるでしょうか。
久しぶりに来たら、のしてんてんさんのブログが
すごいことになってる!笑。
来月あたり、絵画教室に通おうと思ってます。
インフルエンザ流行っているので、
のしてんてんさんも、体に気をつけて
では、また
理路さん、お元気ですか
私は退職して、毎日売れない絵を描いて過ごしていますよ。
絵画教室、楽しんでくださいネ