のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

邂逅展 その後2

2018-01-24 | 展覧会

 

伊勢志賀山流五世宗家 志賀山登羅さんの舞踊を観てきました。

邂逅展を主催された小倉先生のお誘いを受けて、伊勢志賀山流の舞初め公演を観てまいりました。

邂逅展ギャラリートークの折に、ご自身がモデルとなった絵の前でポーズをとって頂いた志賀登羅さんの写真。

この時私は思わず声を上げておりました。素からポーズに入られる瞬間の、まるで空間を切り裂くような緊張感に体が感応したのです。

 

その登羅さんの舞台が観られるのは何ともありがたいことで、様々想像をめぐらしつつ出かけたのですが、ギャラリーの会場で感じたものがはっきり見えた気がいたしました。

 

会場の撮影は禁ですので、舞台の様子は映像でお見せできませんが、パンフレットから志賀山登羅さんの舞姿をごらん下さい。

 

 

パンフレットで目を引いたのは、志賀山には、他の流派にはないナンバ歩きの振りがあるということです。

ナンバ歩きというのは(右手右足)(左手左足)をセットに前に出しながら歩く方法で、古代人の歩き方と言われています。竹馬に乗ったときの歩き方、ラクダの足の運びと同じ歩き方ですね。

現代人の歩き方は(右手左足)(左手右足)と交互に前に出す歩き方で、これは体幹をねじりながらの歩きとなりますが、ナンバ歩きは体幹が揺れないため安定した移動が出来ます。そのため無駄な体力を使わない合理的な歩きと言われています。

実際には古武術などの体術の中に残っており、忍者の気配を消した歩き方などいろいろあるようですが、私たちになじみ深いのはお能ですね。

ナンバ歩きの振りが残っているというのは、つまりお能を起原にした最も古い舞踊を受け継いでいるということなのかもしれません。

 

今回この古代の動きを舞踊という形で見せていただくことで身体と空間の関係を強く意識させられました。能では物語が主で気付かなかったのですが、舞踊はまさに体の動きによる表現。私の中で意識が逆転したのです。

舞踊。それはいわゆるダンスとは違うということが分かりました。

その違いというのは体と空間の関係にあるのです。

ダンスは空間の中で身体を表現しますが、この伊勢志賀山流の舞踊は、身体で空間を動かすということです。つまりその表現は空間と身体の一体感を作る表現だと感じたのです。

その根幹に、お能と同じ古代から伝わったナンバの動きがあると理解できました。

もちろん神ではありませんので、すべての動きにそれが出来ているという訳ではありませんが、空間と同調した身体表現の息をのむ瞬間、身体と空間の境界がなくなって心に迫ってくるものがあります。私には初めてみる全身が空間化するすごさを感じました。融けてなくなるというのではなく、身体が空間の主人となって震わせるという方が適切かもしれません。

期せずして、まかこさんから頂いたコメントに感銘いたしました。抜粋して紹介します。(いつも感謝するばかりです)

------------------------------------------

私も伊勢志賀山流お家元の
邂逅展でのお写真を拝見いたしましたが、
凛たる精気みなぎるお姿に、感服いたしました
まるで気流を呼んでいらっしゃるようです。

ところでわたくしは、
現代の歌や踊りの原点は
古代の神事だと感じています。

全身全霊を天に空け渡し、
歌い踊り恍惚状態で神々と交流、
神々のお言葉を民に伝えるシャーマン!
日本では巫女さんですが、
天皇もシャーマンでしょうね。

伊勢志賀山流にも伊勢が見受けられますが、
伊勢神宮の伊勢は、古代ヘブライ語では、
「イーシュ」と発音
「救い主」という意味だそうですよ。
また人を救う医師、医者も発音が似ていますね。

そもそも伊という文字は象形文字で、
人が手で神の杖を持っているところの象形
伊は神の意志を伝える
聖職者を表しているそうです。(まかこさんコメントより)

-------------------------------------

私が頂いた教訓は計り知れません。

空間は体現できる。

それは絵画も同じこと。それを舞踊の形で見せていただいた。そんな思いでいっぱいです。

ありがとうございました。

おかげさまで、 鉛筆による描線が空間に変わる具体的なイメージをつかむことが出来ました。その尻尾をつかむことが出来たような気がいたします。

コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 邂逅展 その後 | トップ | 神ということ1 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「合気道のナンバ歩法」 (真鹿子(まかこ))
2018-01-24 14:37:14
のしてんてん様
こんにちは!
私の稚拙コメント記事を
ご掲載くださいまして、
ありがとうございます。
お役に立てまして幸いです。

ところで☆ナンバ歩き☆
お出ましなさいました^ね^
私はナンバ歩きは人類の基本姿勢、
人類改善開拓の貴重な歩法だと直感しています。

と言いますのも、
私自身を観察していますと、
前方の物をつかもうとする場合、
よほどの不都合がないかぎり、
必ずといっていいほど、
右利きの私は、
右足で床を踏み締めて右手でつかみます。
左足を出して右手でつかみますと、
なんだか不安定です。考えてみましたら、
こんなに小さな足で体を支えていることこそ、
奇跡ですよね(@_@)

このように
右足を出して右手を出す体の軸の一本化、
左足を出して左手を出す体の軸の一本化が、
身体の安定化につながっているのでしょうね。
それでもおっちょこちょいの私は、
ずっこけるわけですから、最強のおっちょこちょい!近頃、室内の原始空間では、のっしのっし、恐竜ナンバ歩きで歩いていますけれど、ガオー(=^ェ^=)です。

でも古代の方々が、道なき道を歩いていらっしゃる頃、それこそ道なき道の難場を障害物を除き、確認しながら一歩一歩ナンバ歩行をなさっておられたと思うのですが、やがて、難場走りも出来るように進化なさったでしょうね。

現代の私達は、舗装されたすばらしい道路を歩いていますが、難場を歩く難場力は、
退化しているのではないでしょうか。

いずれにしましても、
宇宙気流と合体して、
天地を貫く姿勢で歩む合気道の
基本体勢は、柔軟かつ闊活
ゆるぎない重心を保つナンバ歩法

合気道とのしてんてん道は、
通じているのではありませんか
確かに私たち万物すべてそれぞれ、
宇宙気流みなぎる奇跡の素粒子で構成されている宇宙素粒子空間で、伊勢志賀山流のお家元は瑠璃光天体☆♪格別ですか、万物すべてそれぞれが、奇跡の気流波動を発しているのでしょうね。

のしてんてん画伯!
どうぞのしてんてん龍道を
お極めくださいね☆♪

いつもインスピレーション喚起
感動をありがとうございます☆

感謝一念
まかこ 拝
返信する
なるほどと思いました (のしてんてん)
2018-01-24 19:26:17
難場歩き
そうなんですね!!
また勉強させていただきました。

ナンバとはどんな意味なのだろうと、づっと思っていましたが、難場は思いつきませんでしたよ。

なるほど、なるほど、そうなんですね。

平地で暮らすようになってすたれたのも意味的に理解できます。

現代は平場歩きになったということですね。

逆に平場歩きがどうして左右体幹をねじらせて歩くようになったのか考えてみるのも面白いかもしれません。何か現代人の意味が見えてくるのではないでしょうか。

自然に起こる身体の動きは、必ず何かの必然性があると考えれば、平場の歩行は障害物がないということですけれど、障害物がなければ平場歩きになるというのは・・・
難場歩きより平場歩きの方が体を動かしやすいということなのかなぁ

動かしやすいというのは、難場歩きの方が体幹をねじらない分有利だし・・・

そうか!
右足を踏み出してものをとるとき、右手より左手を使う方が広い範囲でものをつかめる。その逆も同じだから、つまり目先のものを素早くとることだけに集中出来たら、自然に平場歩きになるんだ。

つまり我々の平場歩きは、身を守るより目的達成の意識が生み出した歩行なのですね。

それは中動態から、能動態に思考方法が変わった歴史と重なりますね。面白い発見です。

「自然の中で生きる」から「もの(目的)を求めて生きる」に変わっていった証しなのかもしれませんね。

この推理、どう思います?

返信する
真鹿子様の博識とこの記事の知識に感謝と。 (人生の素人:折師)
2018-01-24 23:04:26
 「姿勢が見事」…本当にそう想いました。邂逅展のポーズは”長年鍛錬を積まなければ保てない姿勢”に見えました…見事な体幹。(※そこまで詳しくない者のコメントで申し訳ないのですが汗)
 …襲名披露の姿勢は…”真似出来ない領域”だと思います…本当に。あそこまで重心を低くして上半身逸らしたら私はこけます(笑) 

「難場走り」…シャーマンの博識も含め…感謝に耐えません…冗談抜きで”博識”です!!!(こういった事を学べるこの場に本当に感謝!)

 で、知識がない私はにわかではありますが経験話を(笑)

 「なぜ難場走りが使われないのか」
→”今の人は速さを優先するから(≒目的重視)”
…マラソン教室で習ったアドバイスまんまです、難場走りのメリット(笑)。
 ”フルマラソンのような長距離を走るのであれば体力を温存する難場走りをするのも一手。但しハーフを筋力勝負で走るのなら今のピッチ走法の方がタイムはでる。”
…感覚ですが、”ひねる方が元に戻りたくなるチカラも推進力にできるので…最大のパワーが出せる。”…そんな気がします。これを最大限に生かしたのが”足を大きく伸ばして、大きく戻すストライド走法”かと。
…私見ですがボルタリングは自然と”難場”の動きになる気がします!…走りではないですが(笑)

 「合気道とのしてんてん道は通じている」
…合気道を3か月だけ齧ったにわかが一名(笑)
…”空間との融和”と言う点でものすごく通じていると想います。そしてこれは個人的妄言ですが”空間を描く為の術”と言う点。
…柔道(3年しかやっていませんが…)と比べて合気道に感じたモノは

 「合気道は、”相手を投げた風景を作り出す武道”ではないか?」…その瞬間の呼吸・間合い・力のベクトル・体の構造(関節技)を全てを把握し、…相手を投げた状態に導く武道。故に筋力はいらず。触れることもせず…どんな相手でも制することができる武道かと。
(※誤解されたくないので申し上げて置きますが…護身術にするには相手の動きを見切れるくらいの鍛錬と相手を倒した風景を描くための体術が必須です…。)
 
…すいません、私言のボリュームが(汗)

改めて…志賀山登羅様のその道を究めしものの姿を知ることができたこの記事に感謝を…!!

返信する
☆ナンバ歩き☆ (真鹿子(まかこ))
2018-01-25 05:37:43
のしてんてん様
折師様
おはようございます!

難場にご注目くださいまして、
ありがとうございま^す^;;

けれども難場に関しましては、
わたくしの想像(創造)でありまして、
「ナンバ」と云う言葉の由来は
私にも解りません。

ナンバ歩きにつきましては、
いろいろな方が独自の見解をお持ちのようですが、中でも「歩行動普及協会」の大黒屋宏芳氏は

「身体の右半身の神経を司るのは左脳
左半身を司るのは右脳です。ナンバ歩きでは、
右手ー右足が正常に左脳と繋がり、
左手ー左足の動きも同じく正常に右脳と繋がります。しかし行進歩きは右手ー左足、左手ー右足と出るため脳が混乱してしまうのです。」

「ナンバ歩きは私たちの脳にも身体にも良いのです。ひとつは、脳と身体が自然に連動してい
くことにより、脳神経が刺激され、新しい筋肉の動きが増えれば、それと繋がる脳神経も活性化されて行きます。もうひとつは、ナンバ歩きは身体にとって自然な動きであるため、筋肉の左右のバランスが均一になっています。」

「人間には、身体と脳の力を自ら意識して向上させることができる未知の能力が具わっています。ナンバ歩きには、目に見えない自然宇宙の摂理が流れているのですね。」と述べておられますが、参考にしていただけましたら幸いです。私こそ、のしてんてん画伯、折師様から、
たくさん学ばせていただいております☆
今後ともどうぞよろしくお願いいたします♪
大寒波の冷え込みが厳しいですが、インフルエンザにはご注意、ご自愛くださいますよう、いつも温かいお心遣いありがとうございま^す^

感謝一念
まかこ 拝
返信する
折師様 (のしてんてん)
2018-01-26 09:27:16
私も同感で^す^
まかこさんの博識!!
特にシュメールの知識はびっくりすることをいつも教えていただいていますよね。

折師さんに並びまして、御礼申し上げます。
まかこさんのコメントから、勝手に難場歩きと平場歩きということにしましたが、平場で走るピッチ走法は折師さんの言われる通りでしょうね。全身をばねにして走るというのはとてもイメージしやすいですね。

そして合気道。やったことはありませんし、自身もっとも遠い人種ですが、とても興味ある武術です。
「合気道は、”相手を投げた風景を作り出す武道”ではないか?」
は大変魅力的ですね。

空間に力点が置かれた究極の体術。
伊勢志賀山流はその舞踊術。
私の極めたいのはその描写術と思考術。

私の話しが加わってくると、
大風呂敷が何枚あっても足りないことになるようです^が^

しかしまあ、気持ちだけは本物なんですがね。





返信する
まかこ様 (のしてんてん)
2018-01-26 10:10:04
歩きに意識を向けていただきましてありがとうございます。

気になって赤ん坊の這い這いはどうだろうと動画を探してみましたら、これは平場歩きになっていました。手が先に行って足がおぼつかない感じでついて行くという感じですが、まだ難場歩きは習得されていませんね。

ラクダの歩き方は難場歩きに近いのですが面白いです。右右・左左と動くのですが、三点支持を保つために、まず後ろ足が動いて前足に追いつき、後ろ足で支えて前足を前に出すという形で進んでいきます。

一方馬は、平場歩きになっていますが、三点支持の方法が違うのです。
たとえば右前後の足が開くとき左前後の足は体の中央にそろえて三点を確保している。このそろった前後の足をいきなり放すとジャンプになる。

ラクダでは安定しているけれどジャンプは難しいでしょうね。

人間の場合、難場歩きはあとから習得する歩き方なのでしょう。よく考えれば当然のことですね。

まとまりませんが、面白いです。

自分の身体と対話しながら歩く。朝の散歩に楽しみが加わりました^よ^
返信する

コメントを投稿

展覧会」カテゴリの最新記事