のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

赤い線

2006-05-31 | ハッピーアート
何も考えないで、
ただ感じる楽しさを
理解できたらすばらしい

自分の中の偶然を見つけて
遊ぶんだ

頭で理解しようとしないで
浮かんでくる感じを自由に遊ばせる

そのコツが分かったら
あなたは絵を描く側の心を
持ったことになる



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楽しみを見出せなかった人 (みす「のん」)
2006-05-31 00:45:50
絵描き仲間だった、妹同然に可愛がってたコが自殺しました。



彼女は生きようとせず、治ろうともせず、ただ死ぬことだけを見つめ、そして実際に死にました。



私は怒ることも、悲しむことも、楽しむことも、うらやむこともなく、ただ虚しいと思いました。



自分や人の想いを全て無にしてしまった彼女。

自分を過去のものにしてしまった彼女。



そんな彼女は可哀想な人。

虚しい人です。



絵に楽しみを見出せなかった彼女。

音楽にも楽しみを見出せなかった彼女。

生きることに楽しみを見出せなかった彼女。



彼女の人生は一体なんだったんでしょうか。



享年23歳。



若すぎる死です。

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悲しいことですね (のしてんてん)
2006-05-31 23:37:17
自殺は誰が殺すのでしょうか



言うまでもなくそれは頭脳なのですね。



自然に属する心身には自殺の本能はありません。

頭脳の文明が発達しすぎて、人々は自然から遠ざけられ、PCの普及で自然な心は自分という孤島に閉ざされてしまっているのです。



むかしから頭脳は苦悩を生み出してきましたが、人との自然なつながりの中でその苦悩を消化させることが出来ましたね。



しかし今や自分の中に抱えた苦悩をどこに持っていくことも出来ず、他人や自分を簡単に傷つけ殺してしまうほど追い詰められた心が多すぎると私は感じているのです。



23歳の死を今の社会はどうすることも出来ないのでしょうか。



文明砂漠のなかで、孤立させられた人の心の苦悩は孤独なのではなく、砂漠に点在する人々の心とつながっている証なんだと、私は声を大にして言いたいですね。



文明砂漠の中にあっても、自分は豊かなオアシスなんだと気付くこと



文明に犯された頭脳から開放された感性に心身を委ねることを学ぶこと



幸せは自分の内側にしかないということに気付くこと



それが見えていたら、23歳の死はなかったのではないかと思えてなりません。







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えぇ (みす「のん」)
2006-06-01 22:13:29
私も頭脳が殺したと思います。

何故なら心臓は毎日動いているし、細胞は毎日新しく生まれ変わり、傷ができれば自然治癒という形で本能は生きていこうとしているからです。

それに生まれてくるときには、生命の大海の中を泳いでくるわけですから。



でも悲しくはありません。

彼女が選んだ道だからです。

その後にどうなるか私にはわかりませんが、彼女は自分の選択したことの結果を受け止める責任があります。

それは死んだ後でも同じだと思います。



彼女がのしてんてんさんと深く話し合えるような人だったら、もっと違っていたのかもしれないです。

でも過去に「もし」という言葉は存在しません。

私は彼女の生きた証を自分の方法で、自分のためにやっていくしかありません。



ここを訪れる人の中には、いろいろなお考えの方がいらっしゃると思うのですが、もしも心に苦しみを抱えて自殺を考えている方が見えられたときには、このことをよく見つめていただきたいと心より祈っております。



そう。オアシスは自分の心の中にあるということを・・・。
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死の意味 (のしてんてん)
2006-06-02 00:16:00
この世に生まれたものは何であれ

すべてこの世で役割を果たしている

無意味なものは何もない。

私はそう思っています。



若すぎる死ですが

残された者が今しなければならないことは

そこにどんな意味があるのかを

知ろうとする努力でしょうか



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