のしてんてんハッピーアート

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静かに安らいで眺めてみれば
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認識力について(1)

2023-08-13 | 5次元宇宙に生きる(空間)

のしてんてん五次元龍展 長慶寺本堂の天井画と共に

 

 

 

 

チュン

その声に目覚めると、

その声がただ懐かしい気分を呼んで、私は穏やかな気持ちで余眠の中にいる。

チュンチュン

さわやかなリズムが目を閉じた意識の中で具体的な姿に変わります。

「スズメだ、ああ、もう朝なんだ」

私の意識が思考を促し、動き出す。

すると思考の中に小枝で鳴いているスズメの姿が浮かんでくる。

私の意識の中で、大きな幹や若葉、朝日の輝きがこずえを照らしている。

空ろな気分を楽しんでいると突然、

カーカーカー

だみ声が聞こえ出す。これはもう声と同時にカラスの姿が意識に上ってくる。

「もう起きなければ・・・」

さすがに自意識が働き始める。うっすらと目の裏側に血の色が透けているのだ。

今日やらなければならないことが頭に浮かぶ。好きな人、嫌な顔が意識になかで動き出す。

ウキウキしたり、気が重かったり、妄想が広がる時間だ。

やがて自然に目が開く。

光が目に届くと、突然現実感がやって来る。

くたびれたカーテン、雑然とした机、何の不思議も感じない見慣れた風景がある。

「生きている。」

「今日のスケジュールがある。」

 

こうして私は現実の世界に解き放たれる。

これはすべて認識の働きである。

私の意識の中で起こっている自分認識であり、その認識は自分の外に向かって広げられる。

この認識が私を人間にしてくれている。

もしこの認識が働かなかったら、私は果たして人間として認められるだろうか。

あり得ないことである。

それだけ認識は人間そのものを決定付ける。

認識の質の高さが人間の高さと同義なのである。

私と釈迦の違いは

私の認識と釈迦の認識の違いだということだ。

地に迷うのが認識の力ならば

悟りの境地に遊ぶのも認識の力だということなのだ。

私と釈迦には一抹の違いもない。一介の人間である。

釈迦を一介と呼ぶのは不遜すぎるが、それを押しても真実はこうだと言いたいのである。

違うのは持っている認識の力なのである。

これが私の一貫した考えなのだ。

もう一つ言いたいことは

認識力を高めれば、私とて釈迦の風景を観ることが出来るということである。

 

目覚めて意識が働き始めると

私達は次第に自分を取り戻し始める。

そして現実感の中で生きることになる。

私達は常に「私」を認識しており、「私」と関係付けた世界を認識している。

これは絶対と言っていい。「私」と関係つけない世界認識はないのだ。

私の知っている〇〇、知らない〇〇、好きな〇〇、得体のしれない○○、真実の○○。

どんな時だって〇〇に自分がくっつかない認識は存在しないのだ。

それは自分の身の回りの小さな世界から

世界情勢、地球を飛び出した宇宙まで、意識の中で認められるすべての風景のことである。

 

自分であることを認める力

あるいは自分を取り巻く世界の姿

ありとあらゆる存在を知る力

これを認識力という。

 

難しい話ではない

それは「自分」が生きて感じるすべての世界のこと

それは持っている認識力によって理解の大きさが変わる空間のことなのである。

ゆえに「私」と「釈迦」の格差がこの世に存在するのである。

それは世界を知る認識力の差異を表しているのだ。

 

「私」と「釈迦」の間には認識する次元の相違がある。

人間が新たに成長する可能性があるとすれば、

己の次元を超えて新たな次元をつかむことなのである。

 

私には四次元から五次元へ進むのは必然の流れだと思えるのだ。

しかし次元というと大きな誤解が生まれる。

科学や学問上の、構造を表す次元や心の状態を表す次元は

同じ次元という言葉を使うが、それは全く似て非なるものであるのに、

五次元と言えば、この次元と混同してしまうらしいのだ。

 

宇宙の構造を語ったり、心の状態を説明するために使う学術上の次元はどれだけ高い次元を扱ったところで

それは四次元を超えるものではない。

それは単に学術や心の扱う問題をいくつにも分割して理解する方法なのであって、

認識そのものの質を説明するものではないということである。

 

他方、五次元というのは私達が存在する器の大きさを認識するための骨組みなのである。

私達の存在は、何本の骨組みで成り立っているのかという問題であって、

それは世界認識を作り出すための柱なのだ。

この柱を次元、あるいは概念と呼んでいるのである。

認識力はこの次元に対応しているのだ。

 

いよいよこの認識力について

足を踏み入れてみたいのである。

 


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