先日、昨年5月他界された「評伝 海達公子」の著者、規工川佑輔先生のお宅へお盆のお参りに行った。お葬式以来、奥様とお会いするのは初めてだったので話がはずんだ。規工川先生がご健在の頃、海達公子が山鹿灯籠祭りを見に行ったことがあるという話を伺ったことがある。敬愛する教師・石塚菊二郎に他の数人の生徒と一緒に連れられて見に行ったことが公子の日記に記されているのだそうだ。昭和7年8月、つまり彼女にとって最後の夏である。お寺に泊まったそうなので、きっと深夜の上がり灯籠を見たのだろう。当時はまだ山鹿灯籠踊りは始まっていない頃で、上がり灯籠がメインイベントだったそうだが、踊りの才能もあったという公子が今日の山鹿灯籠踊りを見たら、どんな反応をしただろうか。
ところで、今年の山鹿灯籠まつりは少し構成が変わったらしい。2部にわたって行われていた千人灯籠踊りが、1部に集約され、その後の上がり灯籠に連続するようなプログラムになったらしい。千人灯籠踊り人気の陰に隠れていた上がり灯籠の復権になるかもしれない。
ところで、今年の山鹿灯籠まつりは少し構成が変わったらしい。2部にわたって行われていた千人灯籠踊りが、1部に集約され、その後の上がり灯籠に連続するようなプログラムになったらしい。千人灯籠踊り人気の陰に隠れていた上がり灯籠の復権になるかもしれない。