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これは、明治29年4月、五高教授として熊本に赴任した夏目漱石が、初めて熊本市内を眺めて、「森の都だなあ」と言ったというポイント、さしずめ「夏目漱石ポイント」である。それから113年後の今日、森の都はどこへやら、ご覧のとおりの有様だ。
先日聞いた姜尚中さんの話の中で、熊本は特長である「水と緑」を大切にして、観光や農業の振興に努めるべきだとの話があった。それを聞きながら、「水」はまだしも、「緑」については、ついこの風景を思い出し、せつない気持ちになった。僕らが子どもだった昭和30年頃、まだ民家も少なく、坪井川の流れが見え、その両岸には田畑も残っていた。そしていたるところに木々の緑が生い茂っていた。そんな地方都市、熊本の風景も遠い日の幻となった。
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新坂
明治二十九年(1896)四月、第五高等中学校(五高)の教授として着任した夏目漱石は、池田駅(現上熊本駅)で下車し、人力車でこの坂を越えた。そのとき、今の京町柳川から下るあたりで熊本の町並を眺望し、その緑の多いのに驚いて「森の都だな」と言ったことから、熊本を森の都と称するようになったという。
この新坂は、明治二十四年(1891)に九州鉄道が熊本まで開通したとき、池田駅から坪井方面へ馬車を通すために新設された道路である。昭和のはじめまで、この坂はうっそうとした木々や竹笹のトンネルであった。
私より10歳以上も上ですから、もう80に近いお婆さんですが、そんな原風景を絵にして残したいと、せっせと描いておられる方がいらっしゃいます。子どもの頃の風景ですので、戦前の風景ですが、見せてもらうと絵に見入ってしまいますよ。
私の育った福岡の家のことを思い出します。
高台にあって、庭から見晴らす景色は一面が
水面で、400mくらい向こうに国鉄の筑肥線・鳥飼駅があり貨物列車の入れ替え作業をもの心ついた頃がらいつまでも眺めていました。
家を訪づれる客が皆口を揃えて「いい景色ですねー」と言ってくれるのが子供心にお世辞に聞こえていました。
ところが、今は、私の住んでいたところも含めてマンション群が林立しています。筑肥線もありませんし、地下鉄も走っています。去年、幼馴染を訪ねて最寄の地下鉄駅から地上に上がると自分がどこに立っているのかもしばらくの間分かりませんでした。故郷は完全に消えてしまっています。
夏目漱石も現代っ子も都市のどまん中の喧騒の中で暮らしいたら、いい文章も生まれないでしょうね(笑)。