俗曲のコアなファンに根強い人気を持つという「品川甚句」。以前にもこのブログで取り上げたことがあるが、この唄の由来や歌詞の意味などについて書かれた文献が見つからないことから、端唄・三味線の師範でブログ「江戸端唄・俗曲の試聴と紹介」を運営しておられる笹木美きえさんに思い切っておたずねしてみた。すると「品川甚句」はおそらく「二上り甚句」と同じものだから、その線で調べてみては、という意外なアドバイスをいただいた。そう言われてみると江戸時代の品川宿では「二上り甚句」が好んで唄われていたという記事を、以前ネット上でたしかに見た記憶がある。
「二上り甚句」の「二上り」というのは本調子・二上り・三下りという基本的な三味線の調弦の一つで、2の糸を一音上げることをいう。賑やかで派手な曲調に用いるそうだ。「甚句」というのは例えば「潮来出島の 真菰の中に 菖蒲咲くとは しおらしや」のように基本は七七七五の韻律に基づく口説きなどを音楽に乗せて唄うもので江戸中期頃から座敷唄として流行ったという。
品川宿は江戸四宿の中でも東海道の最初の宿場として最も栄えた宿場町で、百軒を超える旅籠を始め水茶屋、料理屋などが軒を連ね、旅籠の大半が飯盛女(遊女)を抱えていたという。そんな品川宿で盛んに歌い踊られたのが「二上り甚句」。そしてそれはいろんなバリエーションを加えながら、いつの頃からか「品川甚句」とも呼ばれるようになっていったのだろう。
意味不明の歌詞についてはまだ解明できていないが、おそらく早口言葉や口説きなどを織り込んだ戯れ唄であって深い意味はないと思われる。ただ、なぜ長州弁と思しき「ちょる」という言葉が使われたのか依然強い興味が残る。
「二上り甚句」の「二上り」というのは本調子・二上り・三下りという基本的な三味線の調弦の一つで、2の糸を一音上げることをいう。賑やかで派手な曲調に用いるそうだ。「甚句」というのは例えば「潮来出島の 真菰の中に 菖蒲咲くとは しおらしや」のように基本は七七七五の韻律に基づく口説きなどを音楽に乗せて唄うもので江戸中期頃から座敷唄として流行ったという。
品川宿は江戸四宿の中でも東海道の最初の宿場として最も栄えた宿場町で、百軒を超える旅籠を始め水茶屋、料理屋などが軒を連ね、旅籠の大半が飯盛女(遊女)を抱えていたという。そんな品川宿で盛んに歌い踊られたのが「二上り甚句」。そしてそれはいろんなバリエーションを加えながら、いつの頃からか「品川甚句」とも呼ばれるようになっていったのだろう。
意味不明の歌詞についてはまだ解明できていないが、おそらく早口言葉や口説きなどを織り込んだ戯れ唄であって深い意味はないと思われる。ただ、なぜ長州弁と思しき「ちょる」という言葉が使われたのか依然強い興味が残る。
▼品川甚句
小窓あくれば 品川沖よ
鴨八百羽 小鴨が八百羽
入船八百艘 荷船が八百艘
帆柱八百本 あるよ あるよ
朝来て昼来て晩に来て
来てこんとは いつわりな
来たしょうこにゃ 目が一寸だれちょる
酒飲んだ だれよとだれとが
違がちょる ハッハッ違ちょる違ちょる
切株 土手背負って
恋ちょろ ちょろね
船は出て行く煙は残る
残る煙が アイタタタタ
しゃくのたね
鴨八百羽 小鴨が八百羽
入船八百艘 荷船が八百艘
帆柱八百本 あるよ あるよ
朝来て昼来て晩に来て
来てこんとは いつわりな
来たしょうこにゃ 目が一寸だれちょる
酒飲んだ だれよとだれとが
違がちょる ハッハッ違ちょる違ちょる
切株 土手背負って
恋ちょろ ちょろね
船は出て行く煙は残る
残る煙が アイタタタタ
しゃくのたね
▼二上り甚句