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1964年の大会の時、僕は水泳競技のスタッフをやった。その最終日、やっとの思いで日本が3位に入り、唯一のメダルを獲得した男子800米リレーのゴールの瞬間、あの代々木プールの異常な興奮を今でも忘れない。まわりを埋めつくした外国人観客たちから、口々に「Congratulations!」と言われた時の感動。その時、「あゝ東京オリンピックは世界中から望まれていたんだ!」と実感した。だから、やるならば、世界の大多数の国々から望まれてやってほしい、と思うのはあまりにロマンチスト過ぎるだろうか。
それにしても、いざ投票となると、他の候補地には負けてほしくないという気持も湧いてきて、落選が決まった時は正直ちょっと残念だった。
(追記)
朝、目を覚ました後、テレビや新聞で、東京落選に関する報道を確認する。「なぜ落選?」とか「プレゼンは良かったのに」とか「敗因を分析しないと・・・」といった内容が目立つ。しかし、敗因はわりとハッキリしていると思う。それは1回目の投票と2回目の投票の結果を見ればわかる。1回目の東京が22票だったのに、3つに絞られた2回目は20票にとどまっているのだ。つまり、他の都市をさしおいても東京を選ばなければならない理由が、委員たちに感じられなかったというだけの話だ。「プレゼンは良かった」というのも、言い換えれば、最後のプレゼンだけが頼りだったということだ。次回以降、再び立候補する気があるならば、東京でなければならない納得性のある理由付けを、いかに構築するかしかないだろう。