書店巡りをしようと上通に出かけると、上通入口のびぷれす広場で「走潟マルメロ会~かせいた 展示販売会」が行われていた。
そういえば数日前の熊日新聞に、宇土市走潟地区住民の「走潟マルメロ会」が、細川家が江戸幕府に献上していた菓子「かせいた」の復刻版を開発したというニュースが載っていた。「時献上(ときけんじょう)」と呼ばれていた季節の贈り物として、細川家は二代忠興の時代から「かせいた」を曲げわっぱに入れ、茶菓子として献上していたという。今回の復刻版はその名も「時献上」。
「かせいた」は、洋なしに似た中央アジア原産のマルメロの実を、砂糖と一緒に煮詰めて作ったもの。マルメロというのはポルトガル語のマルメレイロの樹の果実の意味で、「かせいた」の語源はポルトガル語の「Caixa da Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ):マルメロジャムの箱の意」からきているそうだ。
マルメロは江戸時代から戦前まで、走潟村(現宇土市走潟町)の緑川(現浜戸川)河岸段丘地に多く栽培され、「かせいた」の原材料として使われていたが、戦後、マルメロはブドウなどに転換され、「かせいた」の生産は途絶えていた。戦後、船場にあった山城屋が「かせいた」の製造販売をしていたらしいが、山城屋の廃業後、お菓子の紅梅が「かりん」を使って製造販売している。
今日の展示販売会では「かせいた」のもとになった16世紀フランスの医者ノストラダムスがマルメロジャムを薬膳の一つとして開発した話などが紹介されていた。
そういえば数日前の熊日新聞に、宇土市走潟地区住民の「走潟マルメロ会」が、細川家が江戸幕府に献上していた菓子「かせいた」の復刻版を開発したというニュースが載っていた。「時献上(ときけんじょう)」と呼ばれていた季節の贈り物として、細川家は二代忠興の時代から「かせいた」を曲げわっぱに入れ、茶菓子として献上していたという。今回の復刻版はその名も「時献上」。
「かせいた」は、洋なしに似た中央アジア原産のマルメロの実を、砂糖と一緒に煮詰めて作ったもの。マルメロというのはポルトガル語のマルメレイロの樹の果実の意味で、「かせいた」の語源はポルトガル語の「Caixa da Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ):マルメロジャムの箱の意」からきているそうだ。
マルメロは江戸時代から戦前まで、走潟村(現宇土市走潟町)の緑川(現浜戸川)河岸段丘地に多く栽培され、「かせいた」の原材料として使われていたが、戦後、マルメロはブドウなどに転換され、「かせいた」の生産は途絶えていた。戦後、船場にあった山城屋が「かせいた」の製造販売をしていたらしいが、山城屋の廃業後、お菓子の紅梅が「かりん」を使って製造販売している。
今日の展示販売会では「かせいた」のもとになった16世紀フランスの医者ノストラダムスがマルメロジャムを薬膳の一つとして開発した話などが紹介されていた。
熊本のお菓子は いきなり団子が好きです。
かせいたは初めて見ました。今も売っている高級お菓子ですね。
かりんの実をはちみつ漬けにして 喉の痛むとき薄めて飲みました。
マルメロとは名前は知っていました。きれいな実ですね。
かりんとマルメロはよく似ていますが、マルメロの方がちょっとゴツゴツとした洋梨に近い印象です。
へ~っ、「マルメロジャムを薬膳の一つとして開発した」とは。
文化を調べると歴史にもたどりつくものですね。
又、「時献上」とは!幕府には江戸で暮らして、全国の特産物を口にすることが出来たのでしょうね。
食べてもらえるものはいいでしょうが、アベノマスクではないですが、廃棄されるものもあったのでは?(笑)
NHKで放送されていた「タイムスクープハンター」で加賀藩の献上氷の話がありましたが、60㎏の氷が届いた時には500gになっていたように、他藩の献上品も賞味期限はとっくに過ぎていたでしょうね(笑)
香梅が作って、古今伝授の間店限定で売り出した時買って食べましたが、マルメロを使ったオリジナルに近いこちらが気になっていました。早く、味わってみたいものです。
そうですよね~、もうとっくに出来ていると思っていました。
紅梅のを食べたことがありますが、何だかなぁと思っていました(笑)
昨日は書店巡りをする前だったので購入しませんでしたが、見た目は一度食べてみたいと思いました。贈答品にいいかもしれません。