糸魚川の平野部ではまだ雪が本格的でもなく、曇り空や氷雨が続いている。
こんな寒い夜は、柳家紫朝の俗曲が聴きたくなる。
「さのさ」「縁かいな」「両国」「ささや節」「木遣りくづし」・・・・。
紫朝さんは二年程前に亡くなった寄席芸人だけど、俺は彼の最盛期を知らない。
かなり前に脳梗塞で寄席を引退して、CD発売当時は年に一度だけ独演会をしていたらしい。
十年近く前に新宿末廣亭の売店で、睨みつけるような紫朝さんの発売されたばかりのCDジャケットに只ならぬ雰囲気を感じて買ったのだけど、ジャケ買いしたのは唯一このCDだけだ。
家に帰ってCDを聴いたら鳥肌が立った。
唄と三味線の音が身体に染み込んでくる・・・こんな感覚は初めてだ。
佳いなあ・・・しっとりした情感に惚れ惚れした。
この心地よさは程よい湿気がある・・・そう潤いって感覚だ。
夏の唄でも冬の唄でも、江戸の人が感じた湿気を含んだ空気を感じる。
八十歳近い老人の声にこれほど色気を感じるとは!
後年、お弟子さんの小春さんに聞いたら、嫌がるCDの録音を周囲が説得してスタジオまで連れて行ったそうだが、紫朝さんは三味線の音を合わせるとリハーサル抜きでいきなり本番に入ったとのこと。
そして一発で録音終了・・・格好いいなあ。
紫朝さん本人に直接聴いたのだが、彼は数え年五歳から新内を習い始めて、若い頃から新内の「流し」をしていたんだと。
そして昭和の落語の名人として讃えられる、「黒門町」こと八代目桂文楽門下で寄席デビューした筋金入りの寄席芸人。
圓生師匠も独演会の前座に呼んだりして可愛がってくれて、大津絵など口三味線で教えてくれたそうだ。
そして都都逸は「寄席の音曲で天下を取った」・・・紫朝さん談・・・柳家三亀松師匠の直伝だから、艶があるのは当然と言えば当然だ。
紫朝さんにとっては、何時だってリハーサルなんかなくて本番なんだ。
芸歴七十年以上の内には、体調の悪い時にも、気分が乗らない時にもあっただろうけど、三味線を持って高座に立てば何時だって真剣勝負。
これぞ寄席芸人、プロの凄味。
学ぶべき姿勢だ。
8月3日・4日は糸魚川で「おまんた祭り」が開催されているが、同時に姫川港でポート・フェスティバルも開催されている。
嬉しいことに今年は「姫川港開港四十周年」ということもあり、練習帆船の日本丸がゲスト来航した。
かって俺は、姉妹船の海王丸で二泊三日の体験航海も経験しているのくらい帆船好きだし、夏休み期間ということもあるので昔の「少年マガジン」の特集号みたいに「図解・日本丸大解剖!」をしてみた。
日本丸は、これまでの最高時速は19ノット(時速35キロ!)という快記録をマークしている現役で就航する帆船の中で最も高速帆船の一つである。
先代の日本丸は戦前の造船だったこともあり帆走時にスクリュ-を空回りさせていたが、スクリューが水の抵抗を受けてその分、スピードロスになっていた。
当代日本丸はスクリューのピッチ(角度)が調整できる「フェザリング」機能があるので、帆走時はスクリューを水平にして水の抵抗を減らせる高速化設計。
だから速い。
また先代日本丸は、船首と船尾の甲板上に収納庫がハウジングされていたので、横から見ると凸凹があって、これはこれでクラッシックな帆船らしくて恰好良かった。
しかし甲板に凸凹があると作業効率が悪く、見通しも悪いので、当代日本丸は船首から船尾までフラットな「全通甲板」で設計されている。
だから作業効率が向上しただけでなく、風の抵抗も少なくなり、また重心が下がった分横揺れが減じて、高速化に貢献している。
見た目にもスッキリした印象。
船尾から船首方向を観た図。全通甲板だから見通しは抜群。
このように日本丸は近代化が図られているが、何故、近代にあって前近代的な帆船で訓練することに意味があるのか?と誰もが疑問に思うだろうし、建造計画時も運輸省で疑問視されて予算を通すのに苦労したようだ。
ズバリ、日本丸の存在意義は「シーマン・シップ」の育成である。
帆船の運行は、風と波を読み、多くの人が息を合わせて一斉に作業するチームワークが不可欠。
動力船の場合は、そこまでしなくても機械が何でもやってくれるから、帆船より潮っ気が育ちにくいということだ。
船首像の「藍青」こそが日本丸のシーマンシップの象徴。
帆船の船首には魔除けの意味や、船名に由来する像が付き物だ。
つまりこの船は女神に守られているっていうこと。
さて、そこで日本丸の帆船らしい作業を紹介。
訓練生に甲板掃除のポーズをしてもらった。
ワッショイ、ワッショイの掛け声で一斉に甲板を磨いていく。
かっては「たーんつう節」という作業歌が歌われていたと聞く。
「たーんつう」とは、下士官の方向転換の号令の「ターン・トウ・ザ・レフト(ライト)」が訛ってできた海の符丁。
東郷サンや山本サンも、昔の海軍サンの提督達は、皆この歌を歌って甲板掃除して偉くなっていったのである。
因みに和製海事用語で「レッコー」とは、海にゴミや不用品を投棄する時の符丁で、語源は「レッツ・ゴウ・トウ・ザ・シー」が訛ったようだ。
訓練生が持っているのは、椰子の実を半分に割った甲板掃除のタワシである。
本式には甲板に海水を撒いてから、砂でゴシゴシ擦って掃除するのだが、現在は砂を撒くと甲板がすり減り過ぎるので砂無しで掃除している。
甲板材は枯渇しつつあるチーク材だから貴重品なのだ。
帆をコントロールする時にロープを巻付けるキャプスタン。
上部の孔に丸太を差し込んで人力で回転させるのだ。
外国タバコで「キャプスタン」という銘柄の場合は、大抵はその国の海軍の酒保で売られている海軍仕様のタバコだ。
それだけシーマンシップを象徴する器具。
近代船は、動力で巻き取りできるようになっている。
キャプスタン上部。磨かれた真鍮が美しいが、毎日「ピカール」でピカピカに磨き込むのがセーラーの大事な務め。
曇っているとボースン(甲板長)に叱られる。
浮彫文字の隅に緑青が吹いているが、昔ならバッター(バット状の棒で尻を叩かれる)で、海軍精神を注入されるところ?
船尾にある帆走時用の操舵室。
かってはキャノピー(上部の覆い)が無かったので、大時化の時には水兵サンが波にさらわれる事故が多発した。
キャノピー設置要求で水兵サンが反乱騒ぎまで起きたので、今では常識となった大事な施設。
ラット(舵輪)が前後二重になっているのは、日本丸くらいでかい船だと、荒天時は単独で舵が操作できず、複数の船員で舵を操作するからだ。
因みに機走時には、見晴らしの良いブリッジ(艦橋)で、パワステ付きラット(舵輪)で操船する。
体験乗船した時に5分程ブリッジの舵をステアリングさせて貰ったことがあるが、物凄くビビットな舵効きでビックリしたことがある。
ラット正面。船内で最も目立つので、鏡なみに磨かれていないとボースン(甲板長)に叱られるぅ!
タイム・ベル(時鐘)である。
30分ごとに1回づつ足していき、4時間目に8回打つ4時間サイクルの海軍式の時計。
午前0時30分には1回打つので1点鐘、午前4時には8回打つので八点鐘という古式が今も守られている。
ステンドガラスとは贅沢な!と言うなかれ。
練習帆船といえども要人も来船するし、外国に行けば民間外交使節ともなるので、帆船らしい威厳ある調度も必要だ。
四方を海に囲まれた日本が、練習帆船を保有するということは誇りだ。
「太平洋の白鳥」日本丸で育った日本の船員達も国民の誇り。